先ず、聖書を開いて、マタイ2:1−12を読んで下さい。
1552年、現在の山口県で、宣教師ザビエルやトーレス達がミサを行ったのが初めての日本のクリスマスだそうです。日本人信徒を招いての降誕祭(イエスの誕生日のお祝い)でした。また、1560年頃、京都にキリシタン100人余が集まり盛大な降誕祭を行ったという記録が残っています。江戸時代、幕府がキリスト教を徹底的に禁じられていたにも関わらず、天草でクリスマスを隠れて続けて祝いをしいたそうです。明治維新の頃、1875年(明治8年)、クリスチャンであったあの有名な勝海舟の家族が知人のアメリカ人家族とクリスマスパーティーを行ったという記録も残っています。。。
でも、クリスマスとは何でしょうか?聖書・マタイ2:1「イエスが。。。お生まれになった」とあります。よくご存知の通り、クリスマスは、イエス・キリストの誕生日です。。。“クリス・マス”という言葉そのものは「キリストのミサ」で、ミサは、拝むという意味です。クリスマスは、キリストを拝むお祝いです。
今日は、英語の“5W1H”を使って、話しを組み立てたいです。Who?<誰?>Why?<なぜ?>How?<どのようにして?>などを使ったりします。
1.
<Who?>1−2、誰がキリストを拝みましたか?
その前にWhen?<いつ?>やWhere?<どこ?>に答えたいです。イエスは、いつ生まれたのですか?1節「ヘロデ王の時代に」どこで生まれたのですか?「ユダヤのベツレヘムで」。。。この出来事は、神話ではなく、時間と空間に、歴史に確かにあったのです。この歴史生が極めて大事です。。。なぜなら、私自身の歴史に、私の人生に、本当に触れて下さる救い主がいなくてはならないからです。
ある人は、2節後半の「星」の先導のことを聞いて『嘘でしょう』と笑うのです。でも、丁度イエス・キリストが生まれた頃、木星と土星が変わった感じで空で合わさったのです。。。天地を造られた神が「星」いいう自然を使って人々を導くことは不思議ではないないはずです。
ユダヤ人将軍、後に歴史学者となったフラビウス・ヨセフスは、西暦一世紀にこれを書きました。「そのころ知者イエスと言う人がいた、もし人と呼ぶのが合法的であるなら;彼は素晴らしい働きと真理と喜びを兼ね備えた教師であった。ユダヤ人たちも異邦人たちも彼に惹かれた。彼はキリスト(救い主)であった。我々の仲間のある重要人物たちがキリストを十字架にかけることをピラトに勧めた。最初からキリストを愛した人々は彼を見捨てなかった;彼の幾千に及ぶ驚くようなことをした。神の預言の成就にあるように、その人は処刑された三日後に復活して彼らに現れた。その人の名前から生まれたクリスチャンのグループは今に至るまで続いている。」今の私たちに助けと救いを下さる確かな救い主がいて、今も素晴らしく私たちをかえりみてくださるのです。
誰がキリストを拝みましたか?「見よ、東方の博士たちが」とあります。数回「東方」と書いてありますが、博士達は、もちろん、日本、韓国や中国から来たのではないのです。多分ペルシャ(現在のイラク)から来たと思われます。旧約聖書のダニエル書を読むと、イスラエル人が多くバビロニア(ペルシャ)に捕虜として連れて行かれて、その帝国の高い位置のリーダー、学者、科学者、賢人となったのです。多分、この博士達は、そのいわゆる“子孫”です。。。位の高い学者がイエスを拝みに来たのです。
でも、聖書・ルカ2章を読むと「羊飼い」も見に来た、とあります。対照的です。なぜなら、羊飼いは、貧乏で、無学で、身分の低い人たちでした。博士達は、金持ちで、位の高い、知識人でした。。。私たちは、これから、キリスト教の広さを教えられます。教会では、いろんな人が肩を並べて、イエスを礼拝します。女性も、男性も。おじいちゃんも、赤ちゃんも。社長も、土方も。日本人も、韓国人も。科学者も、サラリーマンも。主婦も、園児も。博士も、羊飼いも。
また「東方の博士」とありますが、キリスト教は、世界の人々の信仰です。キリスト教は、先ず、アフリカのエチオピアやアジプトに行きました。でも、多くの流れが使徒パウロなどを通してヨーロッパに広がり、後にアメリカにも渡りました。でも、アジヤのインドと中国にも渡りました。また、東の教会『景教』がシルクロードなどをたどって、日本の奈良にもその足跡を残しました。
不思議な話しがあります。光明皇后(こうみょうこうごう)には将来天皇になるべき子がいました。でも、白血病と思われる病気のために死にかけていました。それを見た景教の宣教師医者李密(リー・ミツ)は、光明皇后に聖書のマタイ8章にあるキリストが病人を癒す奇跡を読んで上げました。李密医師が皇后に「メシヤがあなたの息子をいやしてくださることを信じますか?」と訪ねました。そうしたら、皇后は「公にはできませんが、信じます」と答えました。2人が祈ったら、その子の病いが奇跡的に癒されました。その後、皇后は、キリスト教に多くあった慈善活動を積極的に行い、「療病院」等を作ったり、そこで看護婦としても働いたそうです。
20世紀後半から今も、キリスト教の動きが欧米よりも、ラテンアメリカ、アフリカとアジアー特に中国と韓国—に多いです。2節「私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2. <Why?>3−6、なぜキリストを拝みましたか?
NHKNewsWEBでこうありました。『東京都の猪瀬知事が東京オリンピックとパラリンピックの招致に成功した経緯や舞台裏をまとめた本で、「勝ち抜く力」というタイトルがついていますが、。。。一方で、みずからの資金問題を巡って先行きが不透明ななか、「勝ち抜く力」というタイトルで出版される本に「皮肉を感じる」と話す都庁職員もいました。』今は、もう辞職しています。私たちは、リーダーに失望します。。。イエス・キリストを、6節「支配者」と呼んでいますが、イエスには、期待出来るのでしょうか?真に拝むに値するお方でしょうか?。。。私たちキリスト者は、なぜ彼を期待し、拝むのでしょうか?
一、5節、イエスは、予言された方です。2節の「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか?」と言う質問によって、3節「ヘロデ王」は、恐怖に追い込まれます。彼の立場が脅かされる可能性があるのです。4節「学者」が集められ、彼らは、聖書の予言によって「どこ」から来たか、分かると答えました。キリストが生まれる800年前に、予言者ミカがこう言いました。ミカ5:2から読みます。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」
科学者、数学者、哲学者ブレーズ・パスカルは、あの有名な本「パンセ」(瞑想録)を書きました。が、その本で、パスカルは、聖書とキリストの真理の真実さを証明しています。その中の11章で、予言が聖書の真実さを証明する、と言いました。。。イエス・キリストの800年前に、その誕生は正確に予言されたから、聖書・キリスト教が真実であると分かるのです。。。キリストは、信じるに、拝むに、誰よりも値するお方です。
二、6節後半、イエスは「治める支配者」です。
この聖書の背景を考えましょう。。。神は、天地を造られ、私たちは、神によって治められ、愛されていました。私たち民も、神を愛し、隣人を愛していました。しかし、私たちは、神に従わない道に迷って行きました。その悲しい結果は、死、貧困、失望、病い、劣等感、戦争、飢餓などです。民は、王の王である神を無視しましたが、王は、民を無視しませんでした。私たちの間に来たのです。これがクリスマスです。主イエスは、私たちの間に住み、自然、病い、悪霊を治める不思議な奇跡を行いました。「神を愛し、隣人を愛す」のような素晴らしい言葉を語りました。神の掟に全く従いました。しかし、主イエスは、不正な裁判にかけられ、十字架で死刑になったのです。でも、実は、イエスは、十字架上で、私たちが自分の罪のゆえに死ぬべき死を代わりとなって死んで下さったのです。罪の無い王イエスは、私たちのいわゆる「反逆罪」という罪の責任を全て自分に負ったのです。でも、また、不思議に3日目に墓から蘇って、今は、天において全てを「支配」しています。。。罪を悔い改め、王イエスとその十字架を信じる者をかえりみて下さると約束して下さっているのです。
この「治める支配者」と言う言葉の「治める」は、羊飼いが羊を愛し、導き、ケアする言葉から来ています。。。「支配」の「支えて〜配る」のように、神は、私たちを天から治めるだけではなく、私たちに近よって支え、必要なものを配って与えてくださるのです。なぜなら、世間の王と違って、イエスは、私たちの為に死なれたのです。このようにして下さるリーダーは他にいるでしょうか?
1566年12月、戦国時代の堺で、互いに敵対する二つの勢力が郊外で争っていました。その中には大勢のキリスタンといわれるイエス・キリストを信じていた武士たちもいました。クリスマスの日、堺の教会がせまいので、堺のキリスタンたちは、教会の前にある会合所の大広間を借りてクリスマスの飾り付けをしました。当時の宣教師フロイスは、こう記録しています。この堺のクリスマスは「互いに敵対する軍勢から来ていたにもかかわらず、あたかも同一の君主の家臣であるかのように、互いに大なる愛情と礼節をもって応援した。」「あたかも同一の君主の家臣であるかのように。」彼らは、そのクリスマスで、イエスと言う「君主」、全てを治める、自分たちの為に死なれた「支配者」を拝んでいました。。。なぜイエスを拝むのか?命がけで愛して下さる「君主」だからです。
3、<How>7−12、どのようにしてキリストを拝みましたか?
7−8、ヘロデ王のひねくれた礼拝。「ひそか」という言葉がヒントになりますが、13節、ヘロデ王は、本当は、イエスを「殺そう」と願っていたのです。「私も行って拝むから」というのは、嘘でした。ヘロデは、自分の利益しか考えていませんでした。。。私たちも、なぜイエスを信じているのでしょうか?ただ自分の利益?自分の為に天地を造られた御方をただ使っているだけではないのでしょうか?。。。
9−12、博士達の真実な礼拝。
一、求める、と書いて下さい。真理は、自分の外にあることを直感し、博士達がしたように、私たちも、イエスを求めるのです。私たちと共に、この礼拝で聖書にイエスを求めるのです。。。このヘアに、希望を失った方いますか?尊いお方、真の救い主、がいるのです。クリスマスのキリストを求めて下さい。あなたの期待を裏切ることはけして無いです。
「魂の悩みのある人、自分の(心が)貧しく不完全な人、将来に素晴らしいものを期待する人、のみにアドベント(クリスマス)のお祝いが可能である。」ディートリッヒ・ボンヘッファー。。。
二、喜ぶ。10節に「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」とありますが、確かにクリスマスは、喜ぶ時でもあります。神の導かれ、救われるのを感じ、喜ぶのです。
三、謙る。でも、最も大事なことは、神の前に自分を低くし、謙ることです。11節「ひれ伏し拝んだ」とあります。博士達は、位の高い人たちでした。でも、彼らは、自分を低くしました。なぜなら、彼らは、イエスを誰よりも高いお方と認めていたのです。キリストが真に誰であるかが分かってくると、どんなに位の高い人でも、自分を低くします。私たちも、自分の罪を理解し、主の前で自分を低くするのです。
四、捧げる。今のプレゼントのクリスマスの習慣がここから来ているのでしょうか?博士達は、自分にとって最も尊いものを主イエスに上げたのです。11後半「そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」これを通して、博士達は、キリストを王の王として認め、信じ、崇めていたのです。。。私たちは、どうでしょうか?
五、従いました。博士達は、12節「夢」で神からの指導と命令を聞き、それに従いました。私たちも、キリストを真に自分の為に死なれの「君主」として信じ、崇めていたら、その御言葉に従うのです。
日本人の高山右近は、イエス・キリストに真に従い拝みました。。。高山右近の父親、高山友照は、敬虔なキリスタンで、右近自身は幼いころから信仰を持っていたのです。。。1587年、豊臣秀吉は、キリスト教徒を追放するため禁教令を発令し、秀吉の使者は3度も右近を訪ね『信仰を捨てるようにと』説得しようとしました。でも、右近が敬愛していた茶の師千利休の説得にも応じなかったのです。結局、右近は仕事も財産も捨てたのです。。。その後、加賀藩の前田利家に招かれたました。金沢では城の改造、設計、城下町の設計計画から土木技術の指導までしました。。。禁令のもと、一人で茶室でデウス(創り主)に祈ることも多かったのです。1600年、関ヶ原の戦いで天下を取った徳川家康は、キリスト教を黙認しました。その間、加賀藩内で、キリスト信仰は、右近の伝道によって急速に広まり、信者はやがて1000人を超え、念願だった教会も建てました。また、1608年、金沢で大規模で荘厳なクリスマス・ミサがささげられたのです。加賀の夜に聖なる歌がなり響いたのです。。。その5年後の1613年、徳川幕府はキリスタン禁止令を再び発令し、右近は、キリストを続けて信じ崇めることを選び、国外のフィリピンに追放される道を選びました。。。彼は、常に、最後まで、クリスマス(キリストを崇めること)を心に保っていました。