確かに、神の賞賛に安らいでなければ、緊張したり、高慢に成ったり、敏感に成ったりしてしまうのです。神の基準に足していないことを感じるからです。
ある日、彼は、福音を理解しはじめました。”良い子”に成って賞賛を受けるのではなく、賞賛を受けているから、行動が変わると分かりはじめたのです。
彼の牧師にこう聞きました。「イエス様が私のために何をしたか分かっています。。。伝道するんでしょう。でも、怖くて、伝道できない。」
牧師は「良いんだよ。それでもイエス様は、あなたの愛していますよ」と答えました。
「イエスがそれでも愛してくださるって、どういう意味ですか?」。。。
「覚えて下さい。これが福音だよ。主イエスは、全ての罪の罰を支払うために死んだんですよ。あなたを完全に認め、愛しているんですよ。伝道しなくっても、愛されていることを忘れないで。」
一週間たったら、ある方は、牧師に聞きました。「あの若い人に何って言ったんですか?彼は、どこへ行ったも、イエスのことを伝えていますよ。伝道について何を言ったんですか?」
「しなくっても良い、と言ったんです。」
私たちは、上手に、優しく、思慮深く、リラクスして、魅力的に、伝道し、人に仕え、貧しい人を助けることが出来ます。でも、それは、私たちの魂の叫びが神様によって聞かれ、神によって認めて下さっているゆえに出来るのです。恵みからスタートするのです。
ニューヨーク・マンハッタンの牧師ティモシー ケラーのメッセージより