Tuesday, April 8, 2014

福音によって歩む特有の課題


「日本という文化において、福音によって歩むことは特有の課題を生み出します。“もっとがん ばれ”という働き主導のキリスト教によって、多くの者が疲れ果てています。宣教の成果がなかなか現れないことが完全主義の文化とあいまって、多くのリーダーたちが活気を失っています。 宣教に携わるある者はリスクを避け、ある者は目標を低くし、またある者はすでにあきらめよう としています。働き人の多くは、他人から受け入れられることや自分の特性、自分の価値観に悩 み、心の中で喜びが消されてしまっています。この心の底に潜む問題によって、多くの者が夫婦関係、家族関係、そして他の人間関係において葛藤を体験しています。。。“義とされた者” “恵みによって愛された者” “子とされた者”というキリストにある新しい アイデンディティのもとに自分の罪を見るならば、私たちの心は必ず動かされます。」福音はすべてを変革します、日本チャーチ・プランティング・インスティチュート(CPI)

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」エペソ1:3

Friday, March 28, 2014

「偉大な医師」


「罪がはっきり見えるまでには、キリストはぜったいに十分には尊ばれない。偉大な医師(キリスト)の有り難さを分かるには、自分の病いの深刻さと悪性を知らなければならない。」J.C. ライル

”Christ is never fully valued, until sin is clearly seen. We must know the depth and malignity of our disease, in order to appreciate the great Physician." J.C. Ryle

『そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」』ルカ5:31−32

Friday, March 21, 2014

赦し


「赦しは、いつも赦しを与える人の代償によって来る。」ティモシー ケラー

”Forgiveness always comes at a cost to the one granting the forgiveness.” 」Timothy Keller

『そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』聖書・ルカ 23:34 

 赦し〜許しではなく、罪の赦しのこと。代償〜痛みを伴う犠牲、とも訳せると思う。

考えてみると、主イエスが私たちの罪を赦した時、それは十字架上でされたことであり、主は、自分に私たちの罪を背負い、死なれたのです。犠牲です。。。でも、レベルは全然違いますが、私たちが人の罪を赦する時にも、私たちは、相手にさせるのではなく、自分にその罪の痛みを吸収するのではないでしょうか?ですから、赦すのは大変なことです。キリストの十字架の赦しと愛を体験したゆえにすることではないでしょうか?

Tuesday, March 18, 2014

長野県の牧師会


司会する小岩井牧師

賛美チーム

兄貴ジャンが話す

アレクス(手前)が他と聞く

辻浦牧師が語る。

昨日

Tuesday, March 11, 2014

3年前


3.11の一ヶ月後石巻に行った。

生き残る為に並ぶ。

この家族は救われた。

焼鳥どんを。。。

女川で祈る。

女川での破壊。

石巻の近くの村。


お寺で焼鳥どんを。。。

石巻は仙台の近く。

私たち特にキリスト者は、準備する必要がある。

Monday, March 10, 2014

中心地区牧師会


メッセージを聞いて、話し合い、その後、『二次会』をロイアルホストで。





私は、牧師達が熱心に祈り、御言葉を聞き、計画を話し負うことは大事なことだと思います。が、この中心地区牧師会でやっている後の「二次会」もとても大事なことです。牧師は、教会以外の交わりはとても大事だと確信します。これも、キリストの恵みです。

Monday, March 3, 2014

福音は。。。


「福音は、私たちを同時に、謙虚にし、自信を与える。」テム・ケラー 

"The gospel makes us both humble and confident at once." Timothy Keller

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:23−24