メッセージを聞く:摂理と救いの神
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クリスチャンは、サケと似ていると私は思うのです。サケは、流れに抵抗して、卵を上流で生みます。クリスチャンは、無神論の社会の流れに抵抗して、日本を祝福するのです。日本では、クリスチャンは、たったの0.5%がだけではなく、クリスチャンは「出る釘」です。ですから、「打たれる」のです。。。。このような環境の中で、私たちクリスチャンは、心身ともに疲れる時があります。疲れはてて、ただ「長いものに巻かれ」たい時があります。キリスト者として「筋を通す」のはあまりにも大変な時があります。祝福する力が亡いように感じる時があります。
日本は、エステルの環境に似ています。エステル書の大きな特徴の一つは、「神」の名前が一回も出て来ないことです。しかし、神の名前が記されていない理由があるのです。著者は、意図的にそうしたのです。神の民、イスラエルは、神を神と認めなかったから、ペルシャという国に追放されたのです。また、エステルがいた環境ペルシャは「神なき社会」でした。神々を信じていたが、真の神の存在はないように見えたのです。神なき環境の中で、神の民は、どうのようにして生きるべきか、とエステル書は教えているのです。
私たちは、主要人物<モルデカイやエステル>は、立派な霊的な信者だったと思うのです。しかし、神は、イスラエルに『私を真に礼拝出来る環境—イスラエルーに帰りなさい』と命じられました。しかし、モルデカイやエステルは、帰らなかったのです。不従順で、霊的でなかったようです。
今も、日本のような「神なき社会」の中で、神の民は、こてんぱんにやられ、弱っています。私もそうです。答えは、究極的には、キリスト者自分自らにはないです。摂理と救いの神にあるのです。
1.
1:1—4:14、摂理の神を新たに確信しましょう。
1:1、ペルシャは、当時の中国と似て、広い範囲—アフリカの北部から、ヨーロッパの南部、アジアのインドまでーを治めていました。3節、アハシュエロス王は、巨大な宴会を開きました。4節、高慢な心で自分の「栄誉」を見せびらかしました。しかし、11節、そこで終わらないで「王妃ワシュティ」を見せびらかしたかったのです。12節、「しかし、王妃ワシュティが。。。拒んだ」とあります。それに腹立った、アハシュエロスは、ワシュティを追放しました。その代わりに、2:2、新しい王妃を求めした。
2:8、多くの他の美しい女性とともに、エステルは、城に連れて行かれました。彼女は、9節、管理人ハガイや、15節、「全てのものに好意を受けた」だけではなく、彼女が長い期間準備されて、17節「王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。」神の摂理によって、エステルは、女性として、ペルシャの一番大事な立場に置かれました。
しかし、幸運が一転します。3:1、悪人「ハーマン」も、とても大事な立場に置かれます。。。。2節、神の民の一人モルデカイは、「長いものに巻かれない」のです。皆がハーマンにぺこぺこ頭を下げていますが、モルデカイはしませんでした。「モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。」4節、モルデカイが「ユダヤ人」だということを知って、ハーマンは、怒り狂い、ユダヤ人の敵となりました。8節、ハーマンは、ユダヤ人の全滅をたくらみ、ことの背景を知らないアシュエロス王に陰謀をそそのかしました。13節「書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。。。。若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。」。。。6百万人のユダヤ人を殺したアドルフ・ヒットラーのように成りそうですね。
4:1&3、この陰謀を知ったモルデカイ、ユダヤ人とエステルは、激しく嘆き悲しみました。8節「モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。」そして、13−14、モルデカイは、エステルにこう忠告しました。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」神の主権と摂理です。
真の神の名が語られていない世の中にあっても、存在する神は、主権と摂理をもって、神の選ばれた人エステルをその立場に起きました。日本の歴史や、今の現状を見ると、真の神の存在と恵みをほとんど見えません。しかし、今の日本でも、私たちは、神の見えない手を信じなければ成りません。自然界を見て、神の存在と博愛を知ることが出来ます。しかし、聖書を読んで、神がいて、歴史と国々を治めていることが分かります。少数のキリスト者として、どんなに自分自身の弱さを感じても、見えるもののトリコにならないで、聖書を見て、見えない神を信じ仰ぐのです。「上を見て歩こう♪。。。。」神を仰いで歩こう!
バーバラさんは、去年、神の導きによって、ステラ・カックス先生の招きによって、奉仕しに高松に来ました。不思議に、丁度その頃、ステラさんは、心臓の病いで、病院に入院し、手術を受けることに成りました。また、不思議に、バーバラさんは、看護婦さんでした。ステラさんのケアをしました。私は、彼女にこう言いました。「神様ってすごいなー。私たちは、手術のことは知らなかったが、神様は、前もってバーバラさんを備えました。」「神の摂理によって、他のいろんな奉仕の可能性が止められ、私はここに来ました」と彼女は言っていました。摂理の神は、大きな働きもしますが、バーバラさんのように、細かくステラさんのために働くお方です。
2.
4:13−10:3、救いの神を新たに確信しましょう。
繰り返します。13−14「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」それを聞いて、三日間断食したエステルは、16節、死を覚悟して、王の所に行き、民の救いを求める、と決意しました。「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」なぜ死を覚悟しなければならないのでしょうか?4:11、誰も、王妃であっても、許可がなければ、王の前に立つことは出来なかったのです。しかし、5:2、王の前に立ってエステルは、また「好意を受けた」とあります。そこで、王とハーマンとエステルの宴会をお願いしました。
エステル書のカギとなる箇所は16節です。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」エステルは、すばらしい決断をしました。しかし、エステルは、民を救うために死を覚悟しただけです。私たちの主イエス・キリストは、罪人を救うために実際に死にました。命を捧げたのです。イエスは、真の救い主です。
5:14、高慢を極めていたハーマンは、自分に屈しないモルデカイを死刑にすることを決めて、エステルと王の宴会に行きました。その間、突然、2:21−23に記録してある、モルデカイが王の命を救ったこと、がやっと王の耳に入りました。そして、6:5—12、不思議に、敵ハーマンの手によってモルデカイが「栄誉」を受けることになりました。ハマーンの身の回りのものがこう言いました。13節「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」
ハーマン、王とエステルの宴会は何回も開かれました。7:3、エステルは、やっと話しました。『王妃エステルは答えて言った。「。。。私の民族にもいのちを与えてください。私も私の民族も、売られて、根絶や死にされ、殺害され、滅ぼされることになっています。。。」アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて言った。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」エステルは答えた。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」』そして、『ハマンは王と王妃の前で震え上がった』とあります。
7:10、ハーマンは、モルデカイのために立てた柱に、逆に、死刑にされ、モルデカイは、ハーマンの財産や権利を全て王から頂きました。が、まだ問題があったのです。エステルの民、ユダヤ人は、まだ、ユダヤ人全滅の法律の支配下にあったので、ユダヤ人はまだ危険にあったのです。エステルは、王にこう語りました。8:6「どうして私は、私の民族に降りかかるわざわいを見てがまんしておられましょう。また、私の同族の滅びるのを見てがまんしておられましょうか。」
神の救いは、エステルを通して、働いたのです。エステルの説得によって、8:11、王は、ユダヤ人が自分の身を守る権威を与えました。また、15節、モルデカイも、大臣になりました。9:1「この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。」10:3「。。。ユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、(ペルシャ人を祝福し)ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。」ユダヤ人を祝福したのです。9:17、18、19、22、何回も書いてありますが、民は喜び踊ったのです。神の救いを喜んだのです。9:22
「自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。」
モルデカイやエステルは、神なき世の中にいたのです。二人とも、特に、いわゆる“敬虔なクリスチャン”ではなかったようです。しかし、神は、主権者で、真実なお方で、摂理を持って民を救ったのです。この日本においても、私たちキリスト者は、心身ともに疲れる時があります。私たちは、自分自らの弱さ、足りなさと罪深さを感じます。しかし、聖書と信仰によって、目を上げて、心の目で見えない神を見る必要があります。この方は、国々と歴史を治める神です。それと同時に、この罪深い、信仰の弱い、傷ついている私たちをかえりみるお方です。このユダヤ人のように、私たちは、自分の罪によって、滅びて行くものです。エステルは、死を覚悟しました。しかし、神は、それ以上のことをしました。人となり十字架上で、私たちの罪を負い、代わりに死に、私たちを救ってくださいました。真の神、イエス・キリストは、復活し、今全て治め、私たちを常に助けてくださるお方です。
“リンカーン:信仰と勇気の人”と言う本にリンカーン大統領についてこう書いてあります。イリノイ州のニュー・セーレムとバンダリアにいる間、大統領に成る前のアブラハム・リンカーンは、まだ”人生哲学“を見つけてはいませんでした。なぜなら、あまり熱心に求めていたわけでもありませんでしたし、必要性も感じませんでした。しかし、イエス・キリストによる心の支えがなかったから、息子Eddieの死は彼にとってあまりにも耐えられないものになったのです。。。スプリングフイルド第一長老教会の牧師、ジェームス・スミス博士、が息子Eddieの葬儀を行いました。心を痛めていた親は、希望の光を求めて、牧師の一言一言を熱心に聞きました。。。葬儀の後、リンカーンは、牧師を探して、牧師の”心の旅”について聞きました。リンカーンは、牧師の正直なところに興味を持ちました。牧師は、神を疑っていた時もあったのです。その時の牧師は、時間をかけ、キリスト教について熱心に学び、神をも試しました。彼の疑いの一つ一つが解消されました。その結果、牧師は、キリスト教の弁明(The Defense of Christianity)と言う本を書きました。。。リンカーンは、その本を借りました。家に帰って、弁護士でもあったリンカーンは、裁判の準備するかのように、その本の一言一言を読み、疑い、熱心に考えました。それを終えて、彼は、ため息をしたそうです。子供の頃、彼が信じていた純粋な聖書にたいする信仰は、大人の彼の理論的考えによって弁明されたのです。リンカーンは、聖書が神の誤りのない御言葉である、イエス・キリストにある救いは確かである、ことに信じ安らぐことが出来たのです。このようにしてリンカーンは、救いの神—イエス・キリストーに出会ったのです。
しかし、また、その神は、摂理の神でした。リンカーンが大統領に成った時、耐えられないような試練にあいました。国は(奴隷解放戦争とも言える)南北戦争戦争にてよって裂かれ、多くの血が流され、リンカーンの家族にも不幸がありました。やがてリンカーンは暗殺されることになります。しかし、彼は、聖書を大統領の執務室の机に置き、熱心にそれを読み、神に祈ってことで良く知られています。彼の支えと成ったのは、国々と歴史を治める神、摂理と救いの神でした。彼は、奴隷解放に用いられたのは『自分が立派だからではなく、摂理の神が黒人の救いを願っていたからである』と確信していたのです。弱いながらも、彼は立ち上がっただけなのです。
私たちキリスト者は、日本の救いのために立ち上がらなければ成りません。しかし、原動力がカギです。神は、聖書のアブラハムにこう言いました。「あなたの子孫—イエス・キリストーを通して世界の人々が祝福されます。」何回も何回も、サタンや世間は、世界がイエス・キリストによって祝福されないように、アブラハムの子孫を断ち切り滅ぼそうとしました。エステルの時もそうでした。しかし、摂理の神の救いによって、神の民は守られてきました。やがて、アブラハムの子孫の最高の子孫—主イエス・キリストーが、世界を祝福するために来ました。人々は、また、彼を断ち切ろうとしました。しかし、その十字架の死は、私たちたち人類の救いに成りました。そして、復活された主イエス・キリストは、今も、彼を信じる信仰によって、世界の国々の人が祝福しています。日本人もそうです。信じてない方でも、その恩恵を受けています。。。私たちは、この福音を新たに信じて、雄々しく強くイエス・キリストに従い、慈愛を示し、福音を伝えるのです。
エステルは「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と言いました。NHKの大河ドラマ龍馬伝で坂本龍馬は「命を狙われるくらいの事をせんと、日本は変わらんぜよ」と言いました。十字架上で主イエス・キリストは、日本だけではなく、人類の救いのために命を捧げました。この恵みを味わい、新たに感動し、キリストの栄光と人の祝福と救いのために、苦戦しながらも、私とあなたは、自分を捧げるのです。
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