朝日放送の「大改造!!劇的日フォーアフター」の匠の一人は、”自然素材の伝道師”となっています。。。私は”キリストの十字架の伝道師”で、私のこだわりです。ガラテヤ 6:14前半「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」1コリント 1:23 「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」私は、特にキリスト者のために、神の恵みと主イエスの十字架を強調したいのです。これが私たちの生命線です。。。特に、右の「キリスト中心のメッセージ」、「日本の教会の現状と展望」&「人を造り変える福音の力」を読んでほしいです。
Tuesday, September 2, 2014
「保証人であるお方の血潮に絶えず立ち返ること」
「信者の聖なる歩みの秘訣は、保証人であるお方(主イエス・キリスト)の血潮に絶えず立ち返る事であり、十字架に付けられ復活された主の日ごと(の交わりにおいて)共にいることである。全ての聖い生活と、そこから生じるすべての尊い実—赦し、平和(平安)、聖性—は、十字架から湧き出るのだ。全面的に十字架の血潮から生じていないすべての空想的聖化は、パリサイ主義も同然である。もし私たちが聖でありたいなら、私たちは十字架のもとに行き、そこに宿らなければならない。さもないと、私たちのあるゆる労働、勤勉、断食、祈り、善行にも関わらず私たちは、まだ真の聖化に欠け、明確な十字架の視点に付随する謙遜で慈悲深い性質を欠如することになる。
聖性についての誤解は、偽りの信仰を告白する人たちの間だけではなく、正しい信仰を告白する人たちの間にも広がっている。私たちに対する神の愛と神に対する私たちの愛、この両者が聖性を生み出すために共に働くのである。恐怖は真の従順を達成しない。宙ぶらりんの状態は聖性のために何の実も結ばない。神の愛顧についての陰うつな不安は、一つの欲望も制圧できず、私たちのゆがんだ根性を矯正することもできない。しかし、十字架の無償の赦しは、根絶やしにし、その枝を全て枯れさせる。愛の確かさ、赦しを与える愛だけが、これを可能にするのだ。。。。
神の愛顧の中に無償で温かく迎え入れられることは、自分の全ての罪過をこのように無償で赦して下さった方と同じになりたい(似た者となりたい)と願わせる、あらゆる動機の中で最も強い動機となるである。」
ホレイシャス・ボナー
「それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」エペソ1:6−7
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