Wednesday, January 28, 2015

「バイタルな祈り」使徒の働き4:23−31


バイタルは、英語で’vital’ で、 動詞では、元気や活気に溢れた満ちたさま、と言う意味です。名詞は、医学用語で、英語のバイタルサイン(vital signs) の略で、重要な生命兆候、例えば、体温、脈拍、呼吸、意識、血圧の重要な兆候のことです。。。と言う事は「バイタルな祈り」は、活気に溢れた重要な祈り、という意味です。。。今日の箇所では、祈ることは、極めて重大であり、その祈りが天からの活気、また、リバイバルを与えることを教えています。使徒の働き4:31「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされた。」(写:レンブラントの『祈るヒエロニムス』)

誤解がよくあるようですが、リバイバルとは何でしょうか?あるいわゆるクリスチャンは、聖書を信じないで、リバイバルを避けるだけではなく、無いと言います。『間違いです。』あるクリスチャンは、リバイバルは、一種の伝道集会であり、計画的に出来る、と言います。『ノー。』あるクリスチャンは、リバイバルは、おもに奇跡や、異言や、癒しだ、と言います。『違います。』神は、いつも同じように働かないのです。リバイバルは、神の尊い恵みによって与える神の臨在とその体験、と言っていいと思います。。。神は、唯一で、全てのものと区別出来ますが、同時に、どこにでもいらっしゃいます。神の偏在とも言います。。。私の存在は、今ここにあります。あなたは、私を見て聞くことが出来ます。しかし、メッセージの後、私があなたに近よって、一緒に座って、顔と顔を合わせて話し、深く分かち合う事ができます。リバイバルは、神は、特別に御自身の臨在を親しく下さる時です。そして、チム・ケラー牧師は、こう言いました。”Bother God until he brings his presence down.”「神御自身の臨在が下ってくるまで、神をわずらわせなさい。」神を尊敬するのも大事ですが、私たちは、本当に神様の子供ですから、しつこく神の尊い臨在を願うのもとても大事です。

使徒の働き4:23の前半「釈放された」とあります。が、初代教会は、はじめから迫害されていました。。。日本の教会史は、迫害の歴史でもあります。今も「ソフトな迫害」でも確かな迫害があります。自分がクリスチャンであると、家族、友達、職場の同僚、近所の人たちに言えない時があります。なぜなら「出る釘は打たれる」のです。。。でも、切実に祈るもう一つの理由があるのです。それは、今の日本の教会の大変な状況です。東京のような都会は、よりマシですが、松本のような離れた所は大変です。200人に1人以下がクリスチャンで、200人に199人以上が永遠の裁きに向かっているのです。。。どうすれば良いのでしょうか?多くのお金を使う?新しい方法?伝道集会?有名な人の証し?。。。この箇所では「バイタルな祈り」の重要性を教えています。

23節「ふたり(のペテロとヨハネ)は、仲間のところへ行った」とあります。教会に「残らず報告した。」この使徒2人は、いわゆる「プロ」の他の使徒に相談しに行ったのではなく、教会の皆に話しに行って、皆と一緒に祈ったのです。。。キリスト教は、プロに任せるグループではなく、皆で祈り動くグループです。これは、宗教改革の言葉で「万人祭司」と言います。一人一人がイエスの御名によって直接神に祈り、一人一人に賜物があって奉仕出来るのです。。。「ジャン先生、ダビデ先生」と言わずに、先ず、直接神に祈るのです。また、この箇所のように、皆で祈るのです。

明治維新の頃1858年9月、6人のビジネスマンが、ニューヨーク、マンハッタンで祈りはじめました。1年たったら、1万人のビジネスマンが「神様が尋ねて下さるように」とそこで祈っていました。彼らは「プロ」ではなかったです。。。あなたも、皆で、イエスの御名によって、祈れます。

24「これを聞いた人々は」自分の皆の弱さを感じたので、一番大事な事をしたのです。神に祈ったのです。「みな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。」互いに相談する事も良いですが、神と相談する事が一番です。。。その祈りの内容を見ましょう。先ず、讃えたのです。次に、願ったのです。

1.      24−28、バイタルな祈りは、神を讃えることからはじまります。

24節「『主よ。』」29節「『主よ。』」と、言って、先ず、神中心に祈りました。主の祈りのように、先ず、誉め讃えたのです。「御名が崇められますように。」英語の聖書NIVの訳では、24節は、「Sovereign Lord」で、ただ「主」だけではなく、主権者なる主、全てを治める主、という意味です。。。*リバイバルは、人間が起こすものではなく、神の主権によるもので、神が与えるプレゼントです。人間の作力や計画で起こすものではないです。。。でも、リバイバルが起こるように全てを治める神に祈るのです。

次に、24節後半、神の力を認めたのです。聖書のはじめ、天地創造から、讃え祈ります。24節後半「『あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。』」ここで、神の万能性が告白されています。。。どんなに日本は、伝道のこんなんな国であっても、主は、御心のままに、何でもお出来に成る方なのです。天地を造られたのなら、日本にリバイバルを起こす事は「朝飯前」です。。。力に満ちている方に祈るのです。

ロイド・ジョーンズ牧師は、若い頃、イギリスの女王の医師の助手でした。間もなく彼は、ウェールスで宣教師の働きをはじめ、後彼は、ロンドンの教会の牧師に成りました。今も、世界中で彼のメッセージが慕われています。でも、彼の祈りを聞いたら、後のメッセージを聞かなくても帰れたと、聞いた事があります。彼の祈りは、極めて神中心です。”Almighty and ever blessed God….”「全能なる、永遠に誉め讃えられるべき神よ、あなたの聖なる御前に続け祈ります。神よ、あなた様に続けて感謝し、御名を賛美するために来ます。。。」「全能なる」神の主権と力を覚えて祈りましょう。

そして、25−26、聖書に満ちた祈りです。創世記にすでに触れ、さらに後の旧約聖書の予言が引用されています。25節「『あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。』」これは、詩編2編です。。。キリスト者は、反対されるのは、先ず、私たちの神様が反対されるからです。25節後半「なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。(26節)地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。」神様が反対されれば、私たちも、もちろん反対されるでしょう。。。聖書からクリスチャンの真実な体験を学ばなければなりません。カルト、新興宗教や御利益宗教は、人生をバラ色のように教えますが、聖書は、こう言っています。ヨハネ16:33「あなたがたは、世にあっては患難があります。。。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」聖書は、真実で、人生は、ハードだと、教えます。ですが、勝利者イエスがいるのです。。。聖書に元ずいて真実に祈るのです。

20世紀の初め頃、韓国は、日本の弾圧の下にあり、仏教と儒教の支配下ありました。教会は、とても小さく、暗かったです。それで、幾人かの宣教師が聖書の学びと祈りのために、数人の韓国の牧師を呼び集めました。その一週間素晴らしリバイバルが起こりました。今も、韓国の教会は、のびのびと成長しています。でも、祈りとともに聖書の学びがありました。そうです。御言葉による祈りが大事です。

続けて、25−26の聖書の箇所を「あなたの聖なるしもべイエス」とキリスト中心にして適用します。。。*リバイバルには、悔い改めという大事な要素があります。ヨハネ 16:8「その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世に(私たちに)その誤りを認めさせます。」先ず、神である聖霊は、教会に深い罪意識を与えます。。。でも、それと同時に、イエス・キリストに対する信仰が与えられます。ロイド・ジョンズ牧師は、こう語りました。*「リバイバルは、何よりも、神の子、主イエスキリストの栄光が讃えられることであります。キリストを教会の生活(life、 生命)の中心に回復する事であります。」深い悔い改めが与えられ、全てにおいて、キリスト御自身、福音そのものが回復されるのです。。。キリストの御名によって、キリストを中心にして、祈るのです。

更に、27—28では、十字架中心に適用します。主を十字架につけて、人は、悪を働きましたが、それをも神の許しと摂理であったのです。「ポンテオ・ピラトは、異邦人。。。といっしょに、。。。イエスに逆らってこの都に集まり」十字架につけました。。。が、しかし、でも、28節「あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。」人の責任と神の主権両方が働いたのです。「人があなたを牢屋に入れましたが、主がそれを許し、いや『定め』たのです。」。。また、神の意図した計画は、キリストの苦しみによって、私たちが救われる事です。イザヤ53:10「しかし、彼(キリスト)を砕いて、痛めることは主のみこころであった。。。主のみこころは彼によって成し遂げられる。」文脈を見ると、5節、それは、私たちに「平安(と)いやし」が与えられ、10節、神の「子孫」となるためでした。。。人の策略は、メシアを十字架につけ、砕き殺し無くす事でした。が、神の計画は、十字架を通して、御子なるイエスを砕くことによって、私たちを「いやし」、回復することでした。。。砕かれたイエスの十字架を仰ぎ崇め祈るのです。

アメリカ東海岸のジョナタン・エドワーズ師は、若い頃の体験をこのように語りました。「ある日、私は、黙想するために、父の牧草地で歩いて、祈りはじめました。そして、私の心の中に、言葉で表せない、神の栄光の恵みのこころよい実感が来ました。私は、突然、両方をこころよい結びつきで見る事が出来ました。神の威厳と神の柔和さが共に結ばれていました。それは、畏敬のあるこころよさであり、柔和な畏敬であり、聖なる柔和さであったのです。」。。。神は、主権者で、全能なる神です。でもと同時、十字架の神です。私たちの代わりに死なれた、柔和なお方です。天の父にイエスの御名よって、御霊の注ぎのために祈るのです。

2.29−30、バイタルな祈りは、切実な願いへと移ります。

先ず、私たちは、御言葉に立って、神を讃えるのです。神の摂理と力、キリストとその十字架を覚えた後、私たちは、お願いしたいのです。29「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になって」下さい。正直に、祈るのです。主の祈りのように「悪からお救い下さい」と願い祈るのです。。。「助けてー」と言う祈りほど良い祈りはない、とJIパッカー博士が言いました。

でも、その願いは、自分の為よりも、人の救いのためです。29節後半「『みことばを大胆に語らせてください。』」彼らは、弱さを感じながらも、けして引きこもらず、御国の前進のために、伝道のために、いや「大胆」な伝道のために、祈ったのです。。。彼らは「バイタルな祈り」を祈ったのです。。。私自身は、もちろん個人として祈っています。でも、私たちは、教会として祈っています。リーダーは、相談する前に、結構祈ります。婦人会もしっかり祈っているようです。礼拝の準備の時、けっこう祈っています。でも、*リバイバルには、驚くべき祈りが捧げられるのです。より切実に必死に取りなすのです。

でも、あなたは、リバイバルが起こされるよう、天の窓を開け、御霊を注ぐように神に祈ってことありますか?私たちは「バイタルな祈り」を完全に無視しているのではないでしょうか?私たちは、聖霊の権威を忘れているのではないでしょうか?私たちは、自分と自分の働きを中心にしちゃっているのではないでしょうか?私たちは、一番効果的なものを忘れています。もちろん、いろんな試みのために祈って下さい。牧師・宣教師の為に、日曜日のメッセージ、各組織、伝道集会のために祈って下さい。でも、その前に、その後に、リバイバルの為に切実に祈り願いましょう。主は、リバイバルによって、私たちが50年に出来る事を1日して下さいます。。。私たちがただ頑張る時、そのぐらいの結果しかありません。主に祈る時、主の素晴しさに応じて結果を下さいます。祈りましょう。

1700頃、アメリカ西海岸の牧師コットン・マーサーは、自分の命の短さを感じたのでしょうか、彼は、晩年最後の400日、毎朝起きたら、その一日中を祈りに徹しました。でも、それで終わらなかったのです。神が素晴しく尋ねるようにと、彼は、祈りのセルグループをいっぱい作りはじめました。その結果素晴しいリバイバルが世界中に広がった、と言われています。。。祈りましょう。

30「『。。。不思議なわざを行わせてください。』」リバイバルがあると、私たちの信仰は、知識で終わらなくなるのです。*私たちは、リバイバルによって、頭で知っているものが、恵みによって心に下り、体験と成ります。私たちは、すでに、神について、キリストにある恵みについて、ある程度知っています。しかし、御霊が下ると、神御自身、キリストにある遺産、その尊い愛、復活と栄光を深く実感し、キリストが私たちの心に教会に豊かに住み、神の満ち満ちたものに満たされるのです。。。そして、人々は、それによって、神の存在に引き寄せられます。

3.31−37、バイタルな祈りは、素晴しい結果をもたらします。

最後に31、今日の箇所のポイント、祈りの素晴しい結果です。「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動い」たのです。「一同は聖霊に満たされ」たのです。「神のことばを大胆に語りだした」のです。*キリスト者が真剣に祈り、リバイバルが起こされる時、大胆な伝道が行われます。さらに、32節「心と思いを一つに」されたのです。また、33後半、「大きな恵みがそのすべての者の上にあった」のです。恵みが豊かですから、34「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」のです。体のニーズまで。。。

1700年代の前半、イギリスに大覚醒(Great Awakening)が起こされました。日本語で「無血革命」と言いますが、イギリスの革命の時、フランス革命のように、血が流されなかったのです。なぜなら、フランスでは、貧しい人々の間では、富裕層にたいする憎しみが多くて、その結果、多くの血が流されたのです。が、イギリスでは、キリストの福音が貧しい大衆の間に広まって行ったから、心にある憎しみが取られたのです。社会が守られ、祝福されたのです。。。リババルによって素晴しい社会的結果もあるのです。

メッセージの最後に来て、外国の祈りとリバイバルの例えばかり使いました。が、日本の祈りとリバイバルの例えは一つも無かったです。でも、この教会がリバイバルの例えと成るように、私は、願っています。。。ですから、今から祈りましょう。

Saturday, January 24, 2015


先週、我が輩がルカ20:1ー8からメッセージ。

今は、安曇野ファミリーチャペルと豊かな命教会でルカ伝からのシリーズを5人係で語っています。ご存知の通り、ポイントの聖句は、ルカ19:10「人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」『人の子、キリスト、は、救うたために私たちのために来られた。私たちも、人のためにある。キリストは、今、私たちのために、「失われた人」のためにある。キリストは、私を通して、教会を通して、救うためにある。』

Wednesday, January 21, 2015

「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。」1テサロニケ5:25


「神を知っている人々は、何よりも先ず祈る人々であります。。。」ジェームズ・パッカー

もっと読む:「神を知っている人々は。。。」

「イエス様の御名によって」私たちジャンカー家のためにお祈りください!

一、松本市で、また日本で、主の御名が崇められますように。
二、松本市が真に祝福されますように。
三、私たちの豊かな命教会が福音中心でありますように。
四、教会が御霊によって大胆にキリストが宣べ伝えますように。
五、男性の仕えるリーダーが整えられ、立てられますように。
六、家族が霊的に守られますように。
七、信大などからの収入が十分にありましょうに。

ありがとうございます!

Thursday, January 15, 2015

「そのとき、わたしの心は不思議に燃えたって来た。。。」


アルダーズ・ゲートとという所で小さな集会があり、ジョン・ウェスレーも出かけて行った。。。重い心のまますこしおくれて会場につくと、「われ深き淵より汝をよべり」というテーマのうちに、ひとりの人がルターの「ローマ人への手紙」を読んでいた。。。時計がちょうど8:45をさしていたといっている。。。彼はただ日記に短くこう記しただけであった。。。「そのとき、わたしの心は不思議に燃えたって来た(英語の意味は、あやしく燃える火という表現に近い)。わたしは自分が救われるためにキリストをーただキリストのみを信じた。キリストがわたしの罪を取り去り、罪と死の中から救い出してくださったという確信をそのときあたえられた。」後に彼はこう証しした。「ただーただキリストのもとに行こうではありませんか。栄えの主イエスの十字架を仰げば、世の富も、ほまれもちりあくたのようなものです。」

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる(十字架の)贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:23−24

不思議なのは、ウェスレーは、クリスチャンでした。でも、本当に新生したのではなく、『文化的なクリスチャン』でした。彼は、説教もしていました。でも、ウェスレーは、失望していたのです。続けて説教する自信はなかったのです。恐れが多く、自分の『宗教』に慰めはなかったのです。彼は、ペーター・ボーラーに「伝道を止める」と告白したら、ボーラーは、こうアドバイスしました。「それを掴むまでに説教しなさい。そして、掴んだら、あなたは信仰を伝えます。」ウェスレーは、その通りにしました。彼は「キリストのみが罪を赦す信仰」を宣べて、牢屋にいた囚人をキリストに導きました。囚人は、すぐ改心しました。ウェエスレーは、それに驚きました。ウェスレー自身は、何年も苦しんでいました。でも、囚人は、すぐに変えられたのです。ウェスレーは、こう叫びました。「主よ、私の不信仰を助けて下さい。」しかし、それと同時に、自分の心の鈍さを感じ、救いのために祈る原動力もなかったのです。それで、ウェスレーの上のアルダーズの体験があったのです。ウェスレーは、英国の極めて優れた伝道しになり、メソジストという団体が生まれました。ご存知の通り、今は、世界中に彼に影響された人々の教会があります。

信者よ、牧師よ、自分に真の信仰がないと思うなら、自分の心の霊的鈍さを感じても、神を求めよ。キリストとその贖いのみを信じる信仰を求めよ。神は、摂理と主権を持って、必ずあなたに真の信仰を注ぎます。

Timeline by 1701-1800・John Wesley's Heart Strangely Warmed – Church History

Thursday, January 8, 2015

律法の要求がイエス・キリストによってすべて満たされている


御霊によって歩むとは、律法の要求がイエス・キリストによってすべて満たされていると信じて歩む事です。それに対して、何かがうまくいかなかったり、思うような行動がとれないときに罪悪感が生じるというのは、律法の要求がすべて満たされているという信仰に立てていない状況なのです。」丸屋真也

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。」ガラテヤ 3:13 

Amazon.co.jp: 御霊に属する人、肉に属する人: 丸屋真也: 本

Monday, January 5, 2015

聖霊を慕い求める祈り


聖霊さま、来て下さい。
聖霊さま、私の理性を
私が作った理論や論理や経験の世界を砕いて下さい。
私の中に入って来て、私を支配し、
私を治めて下さい。
私が望む神ではなく、神が望まれる私になりますように。
私が望む教会でなく、主が望まれる教会を
私が望む家庭でなく、主が望まれる家定を
お作り下さい。

ハ・ヨンジョ牧師、「イエスキリストの7タッチ」より

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」イエス・キリスト・ヨハネ15:26