アルダーズ・ゲートとという所で小さな集会があり、ジョン・ウェスレーも出かけて行った。。。重い心のまますこしおくれて会場につくと、「われ深き淵より汝をよべり」というテーマのうちに、ひとりの人がルターの「ローマ人への手紙」を読んでいた。。。時計がちょうど8:45をさしていたといっている。。。彼はただ日記に短くこう記しただけであった。。。「そのとき、わたしの心は不思議に燃えたって来た(英語の意味は、あやしく燃える火という表現に近い)。わたしは自分が救われるためにキリストをーただキリストのみを信じた。キリストがわたしの罪を取り去り、罪と死の中から救い出してくださったという確信をそのときあたえられた。」後に彼はこう証しした。「ただーただキリストのもとに行こうではありませんか。栄えの主イエスの十字架を仰げば、世の富も、ほまれもちりあくたのようなものです。」
不思議なのは、ウェスレーは、クリスチャンでした。でも、本当に新生したのではなく、『文化的なクリスチャン』でした。彼は、説教もしていました。でも、ウェスレーは、失望していたのです。続けて説教する自信はなかったのです。恐れが多く、自分の『宗教』に慰めはなかったのです。彼は、ペーター・ボーラーに「伝道を止める」と告白したら、ボーラーは、こうアドバイスしました。「それを掴むまでに説教しなさい。そして、掴んだら、あなたは信仰を伝えます。」ウェスレーは、その通りにしました。彼は「キリストのみが罪を赦す信仰」を宣べて、牢屋にいた囚人をキリストに導きました。囚人は、すぐ改心しました。ウェエスレーは、それに驚きました。ウェスレー自身は、何年も苦しんでいました。でも、囚人は、すぐに変えられたのです。ウェスレーは、こう叫びました。「主よ、私の不信仰を助けて下さい。」しかし、それと同時に、自分の心の鈍さを感じ、救いのために祈る原動力もなかったのです。それで、ウェスレーの上のアルダーズの体験があったのです。ウェスレーは、英国の極めて優れた伝道しになり、メソジストという団体が生まれました。ご存知の通り、今は、世界中に彼に影響された人々の教会があります。
信者よ、牧師よ、自分に真の信仰がないと思うなら、自分の心の霊的鈍さを感じても、神を求めよ。キリストとその贖いのみを信じる信仰を求めよ。神は、摂理と主権を持って、必ずあなたに真の信仰を注ぎます。
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