Wednesday, September 9, 2015

「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」


ある方は「ダビデ(私)は、あまりにも十字架を強調する」と思っているようです。。。でも、十字架を教会の建物の上などに掲げているように、歴史的に教会は十字架を重視して来ました。

聖書全体が十字架を強調しているからです。旧約聖書は、十字架を強調しています。子羊の犠牲は、創世記4章から語られています。その子羊が人の身代わりになったように、神の子羊イエス・キリストが十字架上で身代わりとなったのです。この犠牲は、旧約聖書に「全てのページ」に出て来ます。でも、イザヤ53章がキリストの予言の一番大事な箇所ですが、十字架を強調しています。6節「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」また、ヨセフとダビデ王は、メシアキリストの形で、先ず、その二人の生涯には、苦しみがあって、そして、栄光があるのです。

新約聖書も、十字架を強調します。福音書は、確かに復活で終わっていますが、その前を読むと、苦しみを何章も語っています。プウロやペテロの手紙を読むと、イエスとその十字架が強調されています。ローマ 3:24「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」キリストの主権を強調するヨハネの黙示録でも、30回以上、キリストの犠牲を意味する「子羊」と言うイエスの名を使っています。信仰もって洗礼を受けますが、それは、キリストの十字架と復活を描いています。私たちが毎月行っている聖餐式もキリストの十字架を重視するように語っています。パウロは、ガラテヤ 6:14前半 でこう語っています。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」1コリント 1:23 「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」

歴史的に見ると、リバイバルの時には、二つの恵みが特に強調されたようです。それは、罪とイエスの十字架です。私は、今から、他の聖書の真理を大事にしながらも、それを強調したいです。。。私は、このブログのように、福音、特に十字架バカです。

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