Sunday, December 3, 2017

神聖な瞑想


「1737年に、私が健康のために森で乗馬をしていたときのことです。静かな場所で馬から降り、いつものように神聖な瞑想に浸り祈っていました。そのとき驚くべきもの見たのです。神と人間との間の仲裁者である御子の栄光と、素晴しく、偉大で、満ち満ちていて、純粋で甘く芳しい恵と愛、そして柔和で、優しい謙遜です。それは一時間ほど続いたと思います。それを見ながら私は長い間涙を流し、大声で泣きました。」ジョナサン・エドワーズ

コロサイ1:15−20「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」

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