Sunday, June 24, 2018

『あなたは、酷い罪人だ』


ある時、マルテン・ルターは『あなたは、酷い罪人だ』と、悪魔に酷く責められていました。ルターは、こう応えました。「私は、すでにそれを知っている。。。キリストは、(十字架上で)私の罪を負って、とっくに赦したのだ。」

世間も、クリスチャンも、自分も、悪魔も、私たちを責めます。「酷いクリスチャンだね!」と。その時に、どう応えるのでしょうか?こう返事して下さい。「あなたの言っている通り。私は、罪人。でも、キリストは、私のような罪人のために死なれたのだ。」

エペソ1:7この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」あなたの罪は、赦され、神に愛されているのです。この聖餐式がそれを叫んでいるのです。ならば、この恵みに立ちましょう。そして、赦し、愛しましょう。

イエス・キリストとその十字架を心から信じている方誰でもこの聖餐式に預かれます。信じていない方は、聖餐式の意味をぜひ考えて下さい。そして、後で、私たちに聞いて下さい。

「私は、すでに自分の罪深さを知っている。。。(でも)キリストは、(十字架上で)私の罪を負って、とっくに赦したのだ。」

キリストのその贖いを喜びましょう。

(教会の聖餐式でこの小メッセージがされました。)

Monday, June 18, 2018

御霊の実


安曇野ファミリーチャペルの小岩井牧師の豊かな命キリスト教会でのメッセージを聞いて下さい。御霊の実 - YouTube (ガラテヤ5:19−26)

アウトライン
ガラテヤ5:19〜26 「御霊の実」
1、肉の行い、私たちの生まれながらの性質
2、御霊の実、聖霊が生活を支配し導かれる時に結んでいく実
3、キリストにつく者、キリストに属し、従い導かれる者

ガラテヤ5:19−26「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

Sunday, June 10, 2018

あなたは、本当に変わりたければ、


「あなたは、本当に変わりたければ、イエス・キリストがあなたの圧倒的な願望でなければなりません。。。

(1)心配する時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。私の功績によってではなく、キリストの寛大さによって。キリストが御自身を犠牲にするほど、私を愛して下さった。ですから、必要なものを続けて下さいます。自分よ、安心しろ。

(2)自分の傲慢と怒りを感じる時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。私は、過去受けるべきものを一回も受けていない。将来受けることも絶対ない。神が私に私が受けるべきものを与えたなら、私はとっくに死んでいるだろう。自分よ、謙遜になれ。

(3)罪悪感を感じる時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。はじめからそれを得たわけではないし、それを自分の行いの不足によって失うこともない。イエスは、過去私を愛したし、今も愛している。この罪を犯すことを知りながらも。自分よ、自信持て。

(4)退屈や無気力さを感じる時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。クリスチャンであること自体が奇跡である。驚きなさい。自分よ、不思議に思え。」


コロサイ3:11前半「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」

Thursday, June 7, 2018

メッセージの「熱」と「光」



「もし説教者が『熱』を伴わない『光』を持っていたとして、聞き手を博学な演説で惹き付けても、敬虔さからくる力の香りや、霊の熱心の現れや、神への熱心さと魂の美徳が無かったら、その説教者はむずむずする耳を満足させ、空虚な観念で会衆の頭を満たすかもしれないが、彼らの心に教え、魂を救うことは出来ないであろう。逆に、『光』を持たない説教者すさましく激しい熱意と猛烈な情熱にかられていても、その人は聖くない炎を会衆の中に燃え立たせてしまい、彼らの腐敗した情熱と感情を煽ってしまう。状況は、良くならず、彼らを天の国に入れるように導かないどころか、かえって彼らをたちまち反対方向に向かわせるのだ。」ジョナサン・エドワーズ

主イエスは、バプテスマのヨハネのこと「彼は燃えて輝くともしびである」(ヨハネ5:35)と言いました。