Thursday, June 7, 2018

メッセージの「熱」と「光」



「もし説教者が『熱』を伴わない『光』を持っていたとして、聞き手を博学な演説で惹き付けても、敬虔さからくる力の香りや、霊の熱心の現れや、神への熱心さと魂の美徳が無かったら、その説教者はむずむずする耳を満足させ、空虚な観念で会衆の頭を満たすかもしれないが、彼らの心に教え、魂を救うことは出来ないであろう。逆に、『光』を持たない説教者すさましく激しい熱意と猛烈な情熱にかられていても、その人は聖くない炎を会衆の中に燃え立たせてしまい、彼らの腐敗した情熱と感情を煽ってしまう。状況は、良くならず、彼らを天の国に入れるように導かないどころか、かえって彼らをたちまち反対方向に向かわせるのだ。」ジョナサン・エドワーズ

主イエスは、バプテスマのヨハネのこと「彼は燃えて輝くともしびである」(ヨハネ5:35)と言いました。 

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