Tuesday, August 29, 2017

「わたしを覚えて」


ハウエル・ハリスは、多くウェールスのリバイバルで用いられることになっていました。しかし、この時点で、まだ救いの確信を持っていませんでした。でも、聖餐式に預かったとき、確信を持ちました。彼は、その体験をこう描写しました。

「(聖餐式の)食卓についた時、十字架上で血潮を流しているキリストを目の前にあるように常に仕向けられました。その血潮のゆえに私が赦しを頂いている信じる力が与えられました。重荷がとれたのです。喜びで跳上りながら家に帰ったのです。そして、寂しそうな近所の人こう言いました。『どうして寂しいですか?私は、罪が赦されたことを確信しています。。。幸いな日よ。ずーと、感謝して思いだすように。』」

ルカ22:19「それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」」

Sunday, August 20, 2017

心から陽気な笑いは、心からの嘆き同じくらい真剣


あの有名なロンドン牧師チャールズ・スポルジョンは、ウツと戦いました。でも、それと同時に陽気な心の持ち主でした。

こう語りました。「我々は、特に一部の人は、ふざけたくなる思いを克服せねばなりません。美徳である聖い快活さと、お悪徳である一般的な軽率さの間には大きな違いがあるのです。思いが込められていない軽率な行為は人を笑わせず、人の心をもて遊びます。それは無礼で、中身がなく真実ではありません。心からの陽気な笑いは、心からの嘆きと同じくらい真剣なものなのです。」


ローマ12:15「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」福音は、両方を下さいます。

Sunday, August 13, 2017

恵と感謝


「私たちの神学は、恵みであれば、私たちの応答は、感謝である。」フレドリク・ブルース

詩篇100:4後半−5「。。。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」

Sunday, August 6, 2017

キャンプ


先週の金、土、私たちは、天龍村のキャンプ場で一泊しました。この10月、私は、60歳になりますから、このような家族の時間をもつくとは少なくなるでしょう。よけいな物のない中で、子供達と話せることは恵みです。




Sunday, July 30, 2017

「彼にあって。。。」


昨日、豊かな命キリスト教会で詩編95編から「礼拝とは何?」について語りました。


福音による礼拝がポイントだと思います。この引用を使いました。
「皆の心に生まれながらの心の頑なさがあります。(はじめは)福音によって、柔軟になるとしても、その(福音の)手段を後に拒むなら、ろう(英:wax)と粘度のように、心は、生まれながらの頑なさに戻ります。ですから、私たちは、ひたすら神の近くにいなければなりません。全ての福音の手段を用いて、心の柔らかさを常に保つのです。最初に私たちの心を柔らかくした(福音の)手段を用いるのです。」ジョン・バンヤンの本の序文を書いたあるピューリタン

コロサイ2:6「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。」


Sunday, July 23, 2017

「差し迫った経験」


「もしあなたが一家の主人で、自分の子供が中にいる家の屋根が燃えていたとします。すぐにでも家全体が炎に包まれてしまうという差し迫った経験が、あなたには見えます。ところが、あなたが声をかけて呼んでも、子供は迫っている危険にまったく無頓着で逃げる様子もない時に、それでも冷ややかに、そして、無関心な口調で話し続けますか。置かれている危険な状態を教え、まだ猶予があるなどと思うことは愚かだと、熱心に語りかけ、できる限りの方法で一生懸命声を大にして呼ばないことでしょうか。そんなことは誰かに教えられないでも自然にそうするでしょうし、そうすべきでしょう。普段のどうでもいい会話と同じように何事もないかのように話し続けるなら、あなたの回りの人はあなたが気が狂ったと思うことでしょう。

それならもし私たちが人の魂の救いを心底気にかけ、地獄がどんなところか理解し、救われていない者の状態を見て目も当てられない酔い状況に気づき、我々の説教の聞き手は自分たちに降り掛かる危険を知らないが、私たちは彼らに迫り来る危険を分かっているとしたら、彼らが直面している悲惨さの恐怖を、強く、そして熱心に伝えないということは道徳的に不可能でしょう。その危機から逃げるように警告し、彼らに向かって大声で叫ぶことでしょう。」

ジョナサン・エドワーズ

ユダ1:22−23前半「疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救いなさい。」

Sunday, July 16, 2017

神を疑う時


ある人は、こう言います。「良いクリスチャンは、神を疑ったり、神に怒ったりはしないでしょう?」

 詩篇73編 の前半を読んで下さい。

天に召された小畑進牧師は、こう書きました。「いや、むしろ大信仰者なればこその深刻な疑問と言い直すべきでしょう。クリスチャンとはいえ、適当に、要領よく、クリスチャンらしく振る舞っているのには、これほど徹底した疑問の生ずるはずがない。ナマ半可に、いい加減に神にかかわっているも者などに、このような苛酷な(厳しく容赦ない)疑団の出るはずがない。。。しかし、真に一切を神にかけ、生命をかけてきた者だからこそ、アサフはこのように言い得たのです。むしろこう叫べるほどのクリスチャンでありたいと思わされるのです。生命がけの大疑団を発したことこそ、ほかならぬ詩人が、すでに解決一歩手前にあった証拠だったのです。」

もっと読む:「キリストの十字架の伝道師」: 詩編73編 『信仰の危機、その回復』