『私(ジェーリー・ブリジェス)は、以前、ある英国の教会の聖餐台の前にひざまずいていた二人の男の物語を読んだことがある。一人は、かつて有罪判決を受けたが、刑期を勤め上げて今は出所した男。もう一人は、数年前、この男に有罪判決良い渡した裁判官であった。
礼拝の後で、牧師はこの裁判官に、「あなたの隣にひざまずいていた男のことを、ご存じでしたか」と尋ねた。
「はい、知っていました。それは恵みの奇跡でした」と、裁判官は答えた。
「それは、あなたが刑務所行きの判決を下した男があなたの隣にひざまずいた、ということを言われているのですね。」
「いや、全く違います」と、裁判官は言った。「その奇跡とは、私が彼の隣でひざまずいていたことです。あの男は、明らかに、自分が救い主を必要とする罪人であることを知っていました。しかし、私は、宗教的家庭に育ち、きちんとした道徳的生活を送り、地域のためにも奉仕しました。私のような者が、自分は神を必要とすることを認めるのは極めて難しいものです。私が、恵みの奇跡なのです。」』
「いや、全く違います」と、裁判官は言った。「その奇跡とは、私が彼の隣でひざまずいていたことです。あの男は、明らかに、自分が救い主を必要とする罪人であることを知っていました。しかし、私は、宗教的家庭に育ち、きちんとした道徳的生活を送り、地域のためにも奉仕しました。私のような者が、自分は神を必要とすることを認めるのは極めて難しいものです。私が、恵みの奇跡なのです。」』
上の例えは、ジェーリー・ブリジェス師の計り知れないキリストの富 : 実生活のための福音から。
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