私も、長い間感じていた事ですが、ニューヨークタイムスの記事(Effort by Japan to Stifle News Media Is Working - NYTimes.com)によると、日本のメディア は『抑圧』(英:"stifled") されている、と言うことです。私たちは、日本のメディアが第二次世界大戦激しく弾圧されていたことをよく聞きます。でも、実際は、戦前から政治によって、支配されていました。戦後、独立した局が規制をしていました。が、1952年にそれがなくなりました。また、保守的政権によって支配されています。
メディアの抑圧は、北朝鮮のような共産圏やサウジアラビアのようなモスレムの国でするような仕業です。私たちの民主主義の国でそうあってはならないのです。意見の相違が私たちの社会の美点であるべきです。
タイムズは、主に古賀茂明の「官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきた」ことについて書いていました。(参考:古賀茂明氏「圧力、言われた側がどう感じるかだ」:朝日新聞デジタル)また、政権がメディア会社の社長に文句言ったり、逆に「寿司」に誘ったりしています。NHKの社長も、現政権の観点から外れる事はしない、と言ってようです。
竹田圭吾は、こう言っています。「歴史を振り返るまでもなく、為政者がメディア対策に力を注ぐのは当然だが、安倍政権の場合、総理がみずから特定の新聞や記事、特定のテレビ局や番組内の特定部分をピンポイントで非難したり、個別の報道について官房長官がいちいち批判的なコメントをしたり、フェイスブックで批判的なコメントを締め出しているとの疑惑をもたれたりと、批判に対して偏執的なまでに攻撃的な反応を示す点が目立っている。」報ステ古賀古舘バトルについての私見
私自身は、ニュースがとても大好きですが、日本のニュースを信頼しても良いのでしょうか?どこまで都合のいい事をのせたり、真実を編集したりしているでしょうか?幸いにインタネットを通して海外の観点も読めるのです。でも、とても残念です。
次ぎ抑圧されるのは、私たちキリスト者ではないでしょうか?でも、教会は、黙ってはいけません。私たちの主なメッセージは、聖書で福音です。でも、政治が道徳的な、人権的な、隣人愛的な分野に入ると、教会は、黙ってはいけません。できたら、武田氏が書いたように、知恵とユーモアをもって語るのです。肯定的に、その政治家のために祈るのです。回復の道に進めるように協力するのです。
「支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主(なる神)である。」聖書・箴言29:26
海外は、この圧力を更に指摘している。UN Free Speech Expert Sees `Worrying Trends' for Japan Media - Bloomberg, Japanese media accuse govt of silencing criticism — RT News
参考:Pensées パンセ II: 「空の空」16
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