父母のMemorial Service(記念会)は、5月20日(土)2時から(食会は3:30頃から)行われます。場所は、南松本のJA虹のホール芳川(松本市芳川村井町小原459−7)。父母を共に覚えたいかたは、どなたでも歓迎します。連絡は、0263−28−9836。
父は、今週の火曜日、4月25日、天に召されました。母は、2年半ほど前、天に召されました。2人を心から敬います。子供の頃、聖書・エペソ6:1−3を暗記させられました。「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。」母は、半分冗談でしたが、こう言っていました。「長く生きたいか?ジャー、従え。」ですから、今、私は、2人を覚える事によって、彼らの神を誉めることによって、敬いたいです。
両親は、広く人々に仕えました。2人の情熱は、主とその教会に対して大きかったでした。松本平で6つの教会の開拓に協力しました。豊かな命聖書書店をはじめました。長野県中で聞かれたラジオ番組(SBC)をもっていました。教会と直接関係ないことにもたずさわりました。小さい子供から大学生の数えきれない英会話の生徒をもっていました。父は、有明高原寮と松本少年刑務所で聖書を教えました。この奉仕があって、陛下さんから勲章をもらいました。母は、他の多くの集いを含めて、2000以上のPTAで講演しました。教育や家族だけではなく、差別やビジネスについても語りました。父と母の仕える心を見て、尊敬しています。
しかし、両親は、何よりも、2人の主イエスを讃えることによって、彼らを尊敬して欲しいと私は思うのです。もう一つ暗記させられた聖書の箇所は、あの有名なヨハネ3:16でした。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」両親の神、また私の神は、人格の無い神ではないのです。神は「世を愛された」のです。創造主の愛は、人格的です。その愛は、ただの言葉(口先)や哲学や道徳ではなく、神の尊い一人子、イエス・キリストという人格的なお方です。御子は、十字架上で私たちが死ぬべき死を代わりとなって死んで下さいました。御子は、復活しました。私たちがただ信じ仰ぎすがることによって命が与えられます。死後の命だけではなく、御子の死と命によって、私たちは、素晴しい希望を持って、今も真に生きることが出来るのです。私たちの恵み深い神ほど素晴しい、尊敬に値するお方はいるでしょうか?私は、父母を敬いながらも、今、それ以上に、生ける神を畏れ誉めたいです。
第2次世界大戦中、私の父は、フィリピンで、日本軍と戦いました。言うのは辛いですが、父は、日本人を憎んでいました。戦争後、大学中、上の聖書の箇所に、父の心が向けられました。「神は、世を愛された。」世は、憎んでいる敵を含めるのだ、と思ったのです。それで、父(母も)は、50年近く、日本の松本で、元敵であった方々に真実に仕えました。2人は、この世にはいないですから、私は寂しいです。が、このように人を愛する心を両親に与えた主を特に畏れ敬います。
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