Sunday, February 22, 2015

「どうして私を救った王に冒涜できようか?」


あるローマ帝国の総督が主教ポリュカルポス(西暦後69年ー155年)に「イエス・キリストへの信仰を捨て、カエザルを主として従え」と命令した。

ポリュカルポスはこう答えた。「80年と6年、私は、キリストに仕えて来て、彼は私に害を与えて事は一回もない。ならば、どうして私を救った王に冒涜できようか?あなたは、私を一時燃えて消える炎で脅かす。しかし、あなたは、来る裁きの炎と永遠の罰を知らない。好きなようにしなさい。」

 "Eighty and six years have I served Christ, nor has He ever done me any harm. How, then, could I blaspheme my King who saved me? You threaten the fire that burns for an hour and then is quenched; but you know not of the fire of the judgment to come, and the fire of eternal punishment. Bring what you will."

「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私(使徒パウロ)と苦しみをともにしてください。」2テモテ2:1−3

Monday, February 16, 2015

小岩井牧師


15日の日曜日、安曇野ファミリーチャペルの小岩井牧師が私たちの豊かな命教会でメッセージをしました。

私たちは、安曇野ファミリーチャペル&小岩井牧師と「協力関係」にある恵みを実感しています。「私(使徒パウロ)は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」ピリピ1:3−6

Tuesday, February 10, 2015

ニュウイングランド・ペイトリオッツ所属牧師:イースタービー


アメリカンフットボールのスパーボールでチャンピオンとなったニュウイングランド・ペイトリオッツ所属の牧師ジャック・イースタービーは、こう語る。「イエスが自分の為にしてくれた事を忘れるな。大事な事を忘れるな。」イースタービーのオフィスは、ビリチェック監督のオフィスの隣にあり、チームにとって重要視され、チームの精神的柱でもある。

"Never forget what Jesus has done for you. Don't forget what's important." Jack Easterby

ESPNのスポーツ誌でもっと読める。 Patriots Love in the Time of Deflategate - ESPN(英語)

『それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」』ルカ22:19 

イースタービーの「競争者の信条」から:私は、今も、永遠に、競争者である。私は、懸命に試み、努力し、チャレンジし、成功するように造られた。グランド内外で私の態度と行動は非難される事はない。私が準備していても、練習していても、競技していても、私は、神と私の上に置いた方の権威に従う。私は、主(イエス・キリスト)を敬っているから、監督、審判員、チームメイト、また競争相手を敬う。 


英語:Competitor's Creed. "I am a Competitor now and forever. I am made to strive, to strain, to stretch and to succeed in the arena of competition. ... My attitude on and off the field is above reproach, my conduct beyond criticism. Whether I am preparing, practicing or playing, I submit to God's authority and those He has put over me. I respect my coaches, officials, teammates and competitors out of respect for the Lord."

私たちリーダーは、主イエスとその恵み深い贖いのゆえに、懸命に努力し、自制し、人を敬うのです。

Monday, February 2, 2015

「エクソダス:神と王」


先週の土曜日、家内の奈帆と二人で映画エクソダス:神と王を見に行きました。映画ノア 約束の舟のと同様、C.G.(コンプーター・グラフィックス)は、良かったです。また、面白い所もありました。

でも、残念ながら、両方とも、課題がありました。かたよっていました。両方とも、聖書の神をただ裁かれる神として表し、神の愛を表していませんでした。いや、人間の愛の方を誉めていたような気がしました。これは「ヒューマニズム」(humanism)といいます。人間中心の考え方です。やはり聖書を理解していないと、神とその愛を経験していないと、当たり前の結論でしょう。でも、気になるのは、監督達は、意図的にユダヤ人やクリスチャンとその神を侮辱しているような気もしないのではないです。でも、このような軽蔑がアメリカで流行っているようです。

聖書は、確かに神様が正しく裁かれる『正義の神』として教えています。罪をお嫌いになる神です。でも、また、愛に満ち満ちれいる神として教えています。出アジプト記(英語では映画の題名と同じ"EXODUS")34:6「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富みます。」「ノア」も、「エクソダス」も、愛を源とする神の『救い』を描いています。「ノア」では、神は、ノアとその家族を罪深い世、とその裁きの洪水から救い出しました。「エクソダス」では、神は、民イスラエルをエジプトの奴隷状態から救い出しました。神は、裁いた時に、同時に救ったのです。

聖書を全体的に読むと、裁きと救い両方を十字架という歴史の十字路(CROSSROADS)で表しました。神が人となり、十字架で私たちの罪を負い裁かれました。身代わりです。そして、それによって、私たちを救って下さいました。両方です。都合良いような神ではないですが、とても良い神です。

「映画を勧めることが出来ますか?」と聞かれたら「レンタルで良いでしょう」と答えます。また、映画を見ても、聖書と比較して、よく考えるようにお勧めします。日本ででも、神の聖い愛を理解し、神を崇める事が出来るように願っています。