先週の土曜日、家内の奈帆と二人で映画エクソダス:神と王を見に行きました。映画ノア 約束の舟のと同様、C.G.(コンプーター・グラフィックス)は、良かったです。また、面白い所もありました。
でも、残念ながら、両方とも、課題がありました。かたよっていました。両方とも、聖書の神をただ裁かれる神として表し、神の愛を表していませんでした。いや、人間の愛の方を誉めていたような気がしました。これは「ヒューマニズム」(humanism)といいます。人間中心の考え方です。やはり聖書を理解していないと、神とその愛を経験していないと、当たり前の結論でしょう。でも、気になるのは、監督達は、意図的にユダヤ人やクリスチャンとその神を侮辱しているような気もしないのではないです。でも、このような軽蔑がアメリカで流行っているようです。
聖書は、確かに神様が正しく裁かれる『正義の神』として教えています。罪をお嫌いになる神です。でも、また、愛に満ち満ちれいる神として教えています。出アジプト記(英語では映画の題名と同じ"EXODUS")34:6「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富みます。」「ノア」も、「エクソダス」も、愛を源とする神の『救い』を描いています。「ノア」では、神は、ノアとその家族を罪深い世、とその裁きの洪水から救い出しました。「エクソダス」では、神は、民イスラエルをエジプトの奴隷状態から救い出しました。神は、裁いた時に、同時に救ったのです。
聖書を全体的に読むと、裁きと救い両方を十字架という歴史の十字路(CROSSROADS)で表しました。神が人となり、十字架で私たちの罪を負い裁かれました。身代わりです。そして、それによって、私たちを救って下さいました。両方です。都合良いような神ではないですが、とても良い神です。
「映画を勧めることが出来ますか?」と聞かれたら「レンタルで良いでしょう」と答えます。また、映画を見ても、聖書と比較して、よく考えるようにお勧めします。日本ででも、神の聖い愛を理解し、神を崇める事が出来るように願っています。
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