Sunday, September 16, 2018

「教会の福音伝道に無くてならないものは。。。」


「教会の福音伝道に無くてならないものは、。。。福音そのものの輝きではありませんか。十字架と復活の福音は、それを聴く者に、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子とされる特権を与えます。この福音が率直に告げられ、受け入れられる礼拝は、神の恵みへの感謝の応答として、明るく楽しく、愛と喜びに満ちています。それこそ、救いを求める人々の必要に応えるものなのです。」村瀬俊夫

ローマ1:16−17「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」


Thursday, September 13, 2018

野辺山


奈帆と私の結婚20周年のために野辺山に行きました。

八ヶ岳(&清里)の近く。

振り返る、読書する時も。

"ロック"でステーキを。

フォト・ギャラリー

この地域は、農産で有名です。

”奈帆、20年ありがとう!”

Tuesday, September 4, 2018

「覚えておきなさい。あなたは、人間です。」


ローマ帝国の将軍が戦いに大勝利を得た後の「勝利の日」のことでした。将軍は、凱旋パレードで、四頭の白い馬に引かれていた馬車に乗っていました。奴隷が将軍の頭の上に金の花冠を持っていました。でも、また、将軍が勝利やお祝い事で高慢にならないように、こう命じられたそうです。奴隷が将軍の耳にこうささやかなければならなかったのです。「覚えておきなさい。あなたは、(ただの)人間です。」ラテン語で"Momento homo。" 英語では”Remember you are (only) a man."

私は、小さなことで高慢になりそうな時があります。でも「宣教師よ(牧師よ、クリスチャンよ)、覚えておきなさい。あなたは、(ただの)人間です。」

1ペテロ5:5ー6「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」

Tuesday, August 28, 2018

福音


「最終的には、福音に対する喜びと驚きがあなたを確かに変えるのです。その体験のみがあなたの心を再プログラムイングする(造り変える)ことができるのです。」ティム・ケラー

"In the end, it's the joy and wonder of the gospel that will change you permanently. Only that experience sufficiently reprograms the heart." Tim Keller

ローマ1:16−17「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」

Sunday, August 26, 2018

軽井沢アゲーン



数日、軽井沢を訪ねた。

読書をいっぱい楽しんだ。

奈帆と軽井沢銀座


ショー記念チャペル。

ぜひ修養のために軽井沢レトリートセンターを使って下さい。

Sunday, August 19, 2018

「愛」



「聖なる愛と希望は、地獄に対する闇雲な恐れよりも、心を和らげ、罪を疎む(いとむ)思いで心を満たすのに、より効果がある。。。地獄に関する説教は、地獄の話だけでは決して完結しません。」ジョナサン・エドワーズ

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3:16

Sunday, August 12, 2018

「書き留める」


「私が働きを始めた頃から、私の学びの方法は『書き留める』ことだった。そうすることで、すべての重要な暗示を読み逃すことが無いように集中できるし、また読書中や瞑想中や他の人との会話の途中で何かが私の知性に語られたことを最大限に追い求めることができるから。したがって、今まで数えきれないほどのテーマに関することから、閃(ひらめ)きや自分にとって最高の思考などを、自身の益のために書き続けている。」ジョナサン・エドワーズ

注意:エドワーズの筆は彼の「聖書解釈のためにの目」でした。彼の聖書の学び方の秘訣は、聖句に関して何百というメモを取ったことと、可能な限りそお聖句の深い理解を求めたことでした。

Monday, August 6, 2018

聖書に絶大な喜びを


「その時、そしてその後も、私は存在するどの本よりも聖書に絶大な喜びを抱いていた。読んでいる時はいつでも、すべての単語が私の心に触れるようだった。私の心の中にある何かとそれらの甘くて力強いことばの間に心地よい調和を感じ、しばしば、全ての文からとてつもない光が飛び出して来るような思いだった。私の心を爽快にしてくれる食事がそこに並べてある、先を読み進むことができないほどだった。そこで一つの文に長くとどまり、その文に含まれている驚くべきことを知ろうとしたが、すべての文が不可思議なことでぎっしりと詰まっているようだった。」ジョナサン・エドワーズが牧師なりたての頃

詩篇 19:10、主のみ言葉・聖書は「金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。」


Sunday, July 29, 2018

「あなたは養子とされています。」


「あなたは養子とされています。あなたが過去の人間関係の愛の欠如からいかに深く傷ついていたとしても、あなたは今、深く愛されています。あなたは神の子供として引き取られ、それまでは、父の独り子である御子イエスだけに保証されていたすべての権利と特権を与えられているのです(1ヨハネ3:1−2)。もう自分のことを霊的孤児のように感じなくてもよいのです。神様はあなたを単なる罪を赦免された犯罪者ではなく、実の娘や息子としてご覧になっているのです。あなたはすでに、御父の御臨在への入り口、あなたのすべての必要を満たしてくださるという約束、そして、あなたの益となる神の訓練を受ける特権を与えられているのです。」ステイーブン・チルダーズ

1ヨハネ3:1−2「私たちが神の子どもと呼ばれるために、‐‐事実、いま私たちは神の子どもです‐‐御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」

Sunday, July 22, 2018

「恵みとは?」ガラテヤ6:18


ガラテヤ6:18「どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、兄弟たちよ、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。」



私たち一人残らず、恵みに飢え乾いています。私たちは、小さい時からパフォーマンス(功績、業績)によって評価されて来ました。フィリップ・ヤンシー氏は、著書「この驚くべき恵み」にこう書きました。「『恵みでないもの』の空気を知らずに吸い込んでいる。早くも幼稚園にあがるころからテストされて評価を受け、『上級』『普通』『要努力』コースへと区分けされる。」親が思い描くように従うか?勉強ができるか?良い大学に入れるか?安定した仕事に入ったか?仕事で成功しているか?良い親であるか?真面目なクリスチャンなのか?いつも笑顔なのか?良い奉仕できているか?。。。でも、「恵みは業績ではなく、贈り物として、外からやって来る」のです。恵みは「与える者が全てを費やし、受けとる側に全く費用がかからない贈り物」です。パフォーマンスによってではなく、ただこのままの私、失敗する私、罪を犯す私、弱い私を受け入れてくれる誰かを探しているのです。真実に恵み深い人を探しているのです。ヤンシー氏は、でこう書きました。「私たちは愛に飢えて成長し、言葉で言いえないほど心の底から、『創造者』に愛されることを望んでいる。」。。。。この驚くべき恵みをガラテヤ書の6:18の最後まで学びましょう。

ガラテヤ書全体で『恵みとは何でしょうか?』と聞くことが出来ます。「恵み」がガラテヤ書のテーマでもあります。復習しましょう。。。ガラテヤ12章、パウロは、恵みを体験し、実践したのです。1:12「私は(恵み)を人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」恵みの啓示は、直接神からパウロへと来たのです。。。生ける神の言葉、真実な聖書を通して私たちに伝わって来ました。ですから、生ける神から来たから、確かなものです。真実です。安心して、この恵みを信じても良いのです。。。パウロは、恵みを実践したのです。14「しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。」当時の教会のリーダーは、恵みを信じていたのに、それを適用していなかったのです。ですから、パウロは、注意したのです。「恵みで救われたのなら、恵みを実践しなさい!」と。。。どうでしょうか?私たちの生活は、矛盾しているでしょうか?一貫して『筋がとっている』でしょうか?恵みによって活かされていれば、恵みを生活に生かすはずです。

私は、大学中、アメリカの南部のテネシーやテキサスに住んでいました。150年ほど前に、奴隷を飼っていた多くの南部の主人達は、一応クリスチャンでした。どうやって、クリスチャンでありながらも、奴隷を飼うことが出来たのかは、私は、不思議に思ったのです。確かに北部の多くのクリスチャンが奴隷解放運動に参加し指導したりしました。しかし、変わらないのです。南部の純粋なクリスチャンの中にでも、奴隷を飼っていた人もいたのです。恵みと矛盾しているのです。ガラテヤ3:28「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」。。でも、私とあなたの生活にも、人との接し方にも、盲点や恵みとの矛盾しているものはないでしょうか?その罪を認め、悲しみ、変わりましょう。

3−4章、恵みは、義と認められ、神の子どもとされ、自由にされ事です。3:1−22、恵みは、義認を意味します。6節「アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。。。」描きましょう。私は、神の法廷にいるのです。私は、神と隣人を大切にし、愛すよりも、ただひたすら自分を愛してきたのです。自己中心です。生ける神によって『きみは有罪だ!』と判決が下されるのです。私は、悩むのです。『とりなして下さる人は、いるでしょうか?』父なる神の右にいる弁護人主イエス・キリストが手を挙げ、立ち上がります。『聖なるお父様、あなたは、聖く正しいお方です。ダビデは、永遠の裁きに値します。しかし、私が彼の罪を負い、十字架上で代わりに裁かれました。それを受け入れて下さい。』神は、判決をくつがえすのです。『御子イエスのゆえに、あなたを正しいと宣言する!』私は、謙って、でも、また喜んで、信仰によって、その判決を受け入れるのです。これが義と認められることです。恵みです。。。「義とみなされた事」に活かされて、立ち、歩むのです。つまづく時も、この土台に常に戻るのです。

3:23−4:20、恵みは、養子を意味します。義と認められることで終わらないのです。更なる恵みがあるのです。4:6−7「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」。。ステイーブン・チルダーズ博士は、こう書きました。「あなたは養子とされています。あなたが過去の人間関係の愛の欠如からいかに深く傷ついていたとしても、あなたは今、深く愛されています。あなたは神の子供として引き取られ、それまでは、父の独り子である御子イエスだけに保証されていたすべての権利と特権を与えられているのです(1ヨハネ3:1−2)。もう自分のことを霊的孤児のように感じなくてもよいのです。神様はあなたを単なる罪を赦免された犯罪者ではなく、実の娘や息子としてご覧になっているのです。あなたはすでに、御父の御臨在への入り口、あなたのすべての必要を満たしてくださるという約束、そして、あなたの益となる神の訓練を受ける特権を与えられているのです。」。。あなたは、生ける神の子供とされたのです。恵みです。この恵みを味わい、喜びましょう。

4:21—5:1、恵みは、自由を意味します。5:1「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」クリスチャンであっても、人の目を気にして、恐れて生きてしまいます。でも、あなたは、愛されて、自由にされました。それらしく、生きて、喜びましょう。。。共産党員だったイギリスの詩人オーデンは、キリスト教に戻り、恵みのキリストを知って、踊ったのです。彼は、この詩を書きました。「私は、皆が知っていることしか知らない−恵みが踊っているときにあわせたなら、私もそこで踊るべきであるということしか。」人格化した恵みキリストとそこにある自由を覚え、踊るのです。恵みを味わって、踊るのです。

5−6章、恵みは、御霊の力で、愛によって実践されるのです。5:13「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」22「御霊の実は、愛」です。ですから、御霊によって、愛するのです。6:1「あやまちに陥った」方を回復させるのです。2節「互いの重荷を負う」のです。6「すべての良いものを分け合う」のです。9「善を行う」のです。恵みを体験した者は、恵みを示すのです。「根っこがあれば、実がある」のです。福音の常識です。

恵みを人から示されたから、恵みを体験するのです。ヤンシー氏は、ピーター・グリーブについて書きました。インドにいたころ、ハンセン病にかかってしまいました。視力を半分失い、一部麻痺した身体でイギリスへ戻って、英国国教会系のシスターのグループが運営する施設で暮らしていました。働くことができず、社会から見捨てられ、やりきれない思いでいっぱいでした。自殺も考えたのです。秘密の脱走計画も立てました。が、いつも踏み切れなく、なぜなら、他に行き場がなかったのです。ある朝早く起きて、庭をぶらついていたら、ぶつぶつという声が聞こえました。それを追ってチャペルまで行き、シスター達が壁に書かれた名前の患者のために祈りをささげていたのです。そして、その中に自分の名前もあるのが見えたのです。その経験が彼の人生行路を変えたのです。彼は自分が望まれた存在であることを感じ、恵みを感じたのです。祈りの愛の行為によって、恵みが形どったのです。。。私たちは、たくさんの問題をかかえています。そして「恵みでないもの」によって、解決しようとします。しかし、予想もしない瞬間に人を通して恵みがやってくるのです。値しない私たちが神からの贈り物を人を通して体験するのです。神の麗しさと恵みを体験するのです。

ガラテヤ書は、最後まで恵みを語っています。6:19「どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、兄弟たちよ、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。」最後に一節まで、恵みが語られているのです。。。恵みとは、何でしょうか?

1.18前半、恵みは「私たちの主イエス・キリストの恵み」です。ガラテヤの教会では、キリストではなく、パーフォーマンス、行い、いわゆる「道徳」によって、深く傷つけられた人がいたのです。彼らは、癒し主が必要でした。主イエスの御性質は、カリス、恵み、「値しない人間に施された神の自由な愛」です。恵みは、キリストによって完全に表現されています。キリストは、人格化された恵みです。人となられた神の恵みです。恵みを知り、実感したければ、変わりたければ、イエス御自身とその十字架を仰ぐのです。

ティム・ケラー牧師は、このように書きました。「あなたは、本当に変わりたければ、イエス・キリストがあなたの圧倒的な願望でなければなりません。(1)心配する時。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。私の功績によってではなく、キリストの寛大さによって。キリストが御自身を犠牲にするほど、私を愛して下さった。ですから、必要なものを続けて下さいます。自分よ、安心しろ。(2)自分の傲慢と怒りを感じる時。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。私は、過去受けるべきものを一回も受けていない。将来受けることも絶対ない。神が私に私が受けるべきものを与えたなら、私はとっくに死んでいるだろう。自分よ、謙遜になれ。(3)罪悪感を感じる時。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。はじめからそれを得たわけではないし、それを自分の行いの不足によって失うこともない。イエスは、過去私を愛したし、今も愛している。この罪を犯すことを知りながらも。自分よ、自信持て。(4)退屈や無気力さを感じる時。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。クリスチャンであること自体が奇跡である。驚きなさい。自分よ、不思議に思え。」。。「私たちの主イエス・キリスト」によって「全てのものが恵みのプレゼントである」のです。新たにイエス・キリスト御自身の”Amazing Grace”を不思議に思い、それに感動しましょう。

2.18まん中、恵みは「兄弟たち」への恵みです。このガラテヤの教会の「兄弟たち」は、傷つけられたり、つまずいたりしていました。でも、パウロは「兄弟たち」と声をかけました。。。何があっても、家族なのです。見捨てないのです。赦すのです。離れないのです。恵まれた家族の一員として、家族に恵みを示すのです。。。ヤンシー氏は、こう注意しています。「私たちの中には、地獄を回避するのに熱心すぎて、天国へ向かう旅を祝うことを忘れているような人がいる。」熱心に真理を守るし、伝道するが、回りの人に〜家族、霊的家族に〜親切でないのです。10「私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。」

3.18後半、恵みは、私達の「霊とともにある」恵みです。私たちの内なる人、魂、心のことを言っています。ガラテヤの教会の方は、『恵みでないもの』によって、「霊」、心、魂にすごい傷を負わせられました。「霊」が癒される必要があったのです。神の「霊」が、傷のある私たちの「霊ともに」いて下さるのです。この恵みが、私たちを内なる人から癒し変えて下さいます。聖霊様が私たちの心にある罪を、私たちの間違った動機を、罪の裏にある罪を〜痛いですが〜指摘して下さいます。そして、聖霊が私たちの「霊とともに」いて下さる事によって、私たちの「霊」に恵み、キリスト御自身、十字架を適用して下さいます。内なるものから癒され、清められ、変えられて行くのです。私たちの返事は、罪、心の偶像を真実に認める事です。そして、18節の最後にあるように「アーメン」と心から神の恵みを信じ受け入れ、恩方を喜び、崇めるのです。

例えましょう。大雨の後のことです。山の中の村に援助が入れないのです。なぜなら、大きな岩が道をふさいでいるのです。どかすためには、ダイナマイトが必要です。でも、そのダイナマイトをただ岩の隣に置かないのです。岩の中深くまでドリルで穴をあけるのです。そして、ダイナマイトを奥まで入れて、内側から爆破させるのです。。。私たちの「霊」は、傷ついています。パフォーマンス(功績、業績)によっては、けして癒されないのです。逆に、問題が増えるのです。恵みの福音が心の奥まで入り、「私たちの霊とともにある」事によって、力強い働きをするのです。この恵みを信じて神を崇めると、「霊」が、いわゆる『爆発』し、そして不思議に癒されるのです。内側から真実に変えられるのです。

パフォーマンスによってではなく、ただこのままの私、失敗する、罪を犯す、弱い私を受け入れている恵み深い方がいるのです。「どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、兄弟たちよ、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。」

Monday, July 16, 2018

「天国へ向かう旅を祝う」


「私たちの中には、地獄を回避するのに熱心すぎて、天国へ向かう旅を祝うことを忘れているような人がいる。」フィリップ・ヤンシー

ガラテヤ 6:10「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。」

Monday, July 2, 2018

『互いに愛し合いましょう。』


第2次世界大戦、ナチスによって、ユダヤ人だけではなく、クリスチャンも、収容所に入れられ、酷く苦しみました。

終戦後間もなく、ある神父さんは、こう証言するのです。「私たちの友情を覚えて下さい。悲惨な状態にあった仲間にパンの一かけら、砂糖、笑顔を分かち合ったことを。しかし、教えて下さい。クリスチャンとして、互いに愛することを学ぶには、収容所が必要でしたか?互いに愛することは、キリスト教の根本的な特徴ではないでしょうか?明日を待つ必要はないのです。今日でも、今、道で、地下鉄で、作業場で、事務所で、家庭で、毎日の生活で。(収容所で)死んだ方の名によって、キリストの名によって。愛する仲間よ、『互いに愛し合いましょう。』」

1ヨハネ4:9−11「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」


Sunday, June 24, 2018

『あなたは、酷い罪人だ』


ある時、マルテン・ルターは『あなたは、酷い罪人だ』と、悪魔に酷く責められていました。ルターは、こう応えました。「私は、すでにそれを知っている。。。キリストは、(十字架上で)私の罪を負って、とっくに赦したのだ。」

世間も、クリスチャンも、自分も、悪魔も、私たちを責めます。「酷いクリスチャンだね!」と。その時に、どう応えるのでしょうか?こう返事して下さい。「あなたの言っている通り。私は、罪人。でも、キリストは、私のような罪人のために死なれたのだ。」

エペソ1:7この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」あなたの罪は、赦され、神に愛されているのです。この聖餐式がそれを叫んでいるのです。ならば、この恵みに立ちましょう。そして、赦し、愛しましょう。

イエス・キリストとその十字架を心から信じている方誰でもこの聖餐式に預かれます。信じていない方は、聖餐式の意味をぜひ考えて下さい。そして、後で、私たちに聞いて下さい。

「私は、すでに自分の罪深さを知っている。。。(でも)キリストは、(十字架上で)私の罪を負って、とっくに赦したのだ。」

キリストのその贖いを喜びましょう。

(教会の聖餐式でこの小メッセージがされました。)

Monday, June 18, 2018

御霊の実


安曇野ファミリーチャペルの小岩井牧師の豊かな命キリスト教会でのメッセージを聞いて下さい。御霊の実 - YouTube (ガラテヤ5:19−26)

アウトライン
ガラテヤ5:19〜26 「御霊の実」
1、肉の行い、私たちの生まれながらの性質
2、御霊の実、聖霊が生活を支配し導かれる時に結んでいく実
3、キリストにつく者、キリストに属し、従い導かれる者

ガラテヤ5:19−26「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

Sunday, June 10, 2018

あなたは、本当に変わりたければ、


「あなたは、本当に変わりたければ、イエス・キリストがあなたの圧倒的な願望でなければなりません。。。

(1)心配する時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。私の功績によってではなく、キリストの寛大さによって。キリストが御自身を犠牲にするほど、私を愛して下さった。ですから、必要なものを続けて下さいます。自分よ、安心しろ。

(2)自分の傲慢と怒りを感じる時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。私は、過去受けるべきものを一回も受けていない。将来受けることも絶対ない。神が私に私が受けるべきものを与えたなら、私はとっくに死んでいるだろう。自分よ、謙遜になれ。

(3)罪悪感を感じる時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。はじめからそれを得たわけではないし、それを自分の行いの不足によって失うこともない。イエスは、過去私を愛したし、今も愛している。この罪を犯すことを知りながらも。自分よ、自信持て。

(4)退屈や無気力さを感じる時。。。キリストの愛と犠牲によって、全てのものが恵みのプレゼントである。クリスチャンであること自体が奇跡である。驚きなさい。自分よ、不思議に思え。」


コロサイ3:11前半「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」

Thursday, June 7, 2018

メッセージの「熱」と「光」



「もし説教者が『熱』を伴わない『光』を持っていたとして、聞き手を博学な演説で惹き付けても、敬虔さからくる力の香りや、霊の熱心の現れや、神への熱心さと魂の美徳が無かったら、その説教者はむずむずする耳を満足させ、空虚な観念で会衆の頭を満たすかもしれないが、彼らの心に教え、魂を救うことは出来ないであろう。逆に、『光』を持たない説教者すさましく激しい熱意と猛烈な情熱にかられていても、その人は聖くない炎を会衆の中に燃え立たせてしまい、彼らの腐敗した情熱と感情を煽ってしまう。状況は、良くならず、彼らを天の国に入れるように導かないどころか、かえって彼らをたちまち反対方向に向かわせるのだ。」ジョナサン・エドワーズ

主イエスは、バプテスマのヨハネのこと「彼は燃えて輝くともしびである」(ヨハネ5:35)と言いました。 

Sunday, May 27, 2018

「十字架のスキャンダル」


1コリント1:23−24「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」



「つまずき」という言葉は、ギリシャ語で「スカンドラン」という言葉で、私たちのスキャンダルという言葉が語源です。

産経ニュースで「スキャンダル政局」とありました。「今年の日本政治はスキャンダル一色であります。」財務省の事務次官、新潟県知事。。。アメリカの”Me too!”運動がありますが、映画プロデューサー、大統領まで。

でも、この箇所で言っているスキャンダルは違うのです。23節、十字架がスキャンダルなのです。『え!!!』

当時、人々は十字架の事を聞くだけでも、スキャンダルで、つまずきだと思って、いわゆる「不祥事」だったのです。ギリシャ人にとって、十字架は、犯罪人が受ける、恥さらしの死刑で、立派な教師は、そんなようにはされないはずです。ユダヤ人にとってメシヤは、栄光の救世主なので、死ぬはずはないと思ったのです。

でも、十字架は、今でもスキャンダルなのです。世間は、道徳を掲げます。「良い人になりなさい。平和のために尽くしなさい」と言います。でも、これは、注意しないと、私たちの自らの能力やプライドを高ぶらせます。聖書は「いやいや、十字架が全てです。あなたの道徳は、あまりにも小さいものです。あなたは、あまりにも弱くて、迷っていて、御子イエスの十字架以外には救われないのです。」これが世間の感情を害し、腹を立たたせ、つまずきと成るのです。。。でも、私たちにとって、十字架は、素晴しいのです。

聖書以外の全ての宗教は、こう教えます。私たち人間は『救いを得るために、何かをしなければならない。』しかし、聖書は『いやいや、救いを頂くためには、神が何かをしなければ成らなかったのです。それは、十字架です。主は、あなたの死ぬべき死を死ななければならなかったのです。』英国国教会の牧師ジョン・ストットは、こう書きました。「『キリスト』(御自身)が神の御業による宗教を意味する。キリストが完成された御業を通して成した神の御業。」正に本当の『神業』です。これが世間にとって気に食わないのです。。。でも、私たちにとって、十字架は、全てです。

『自分が立派だ』と思う人にとって十字架は、つまずきです。十字架は、お世辞、きれいごとを言わないのです。人は「あなたは、罪人だよ。あなたは、十字架を必要だよ」と聞きたくないのです。人は、自分で自分を救えると思うのです。スコットランドの聖書学者FFブルース氏は、こう言いました。十字架は「私たちの全てのアチーブメント(達成)とメリット(功績)を切り崩します。黙って、十字架にかけられた恩方から受けなければ成らないのです。」自分でやれるというプライドのある人にとって侮辱なのです。。。でも、私たちにとって、主イエスとその十字架は、麗しいのです。

多くの人にとってイエスは、ただの良い教師であって欲しいのです。救い主には、成って欲しくないのです。十字架抜きのキリストが欲しいのです。

私たちでも、人に好まれたく、皆と合わせたいのです。誰も、不愉快にさせたくないのです。その結果、一番肝心な「十字架に架けられたキリスト」を除いてしまうのです。

十字架は、教会で見えて、イアリングや首飾りにして、中には、十字を切る人もいます。でも、意味は、ピンと来ません。私たちがどんなに十字架がつまずきであったり、スキャンダルである事を知らなければ、その素晴らしさが分かり、感動し、変えられません。

生ける神様は、聖なる聖なる聖なるお方です。私たちは、罪深い罰に値する者です。本当は、スキャンダルの恥を負うべき者は、私です。あなたです。スキャンダルを解決するために、神様と和解するために、誰かが私たちの罪の責めと恥を負わなければならなかったのです。生ける神であるイエス・キリストが十字架上で、その罪を負い、スキャンダル『罪』となったのです。2コリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」代わりに裁かれたのです。ただ信じ仰ぐ私たちが、逆に『義、正しい、清い』と認められるのです。いや、それだけではなく、神の子どもと言う名誉のある身分を受けるのです。

十字架がなければ、私は、あなたは、スキャンダル、疑惑、恥さらしのままです。

でも、恵みによって、麗しい主イエスに、十字架に、その恵みに預かったのです。

明治時代の頃、ヘボン式ローマ字で有名なジェームス・ヘボンは、日本の横浜などで、宣教師、医者、教師として活躍していました。ヘボンの家に、キリストの十字架につけられた絵がありました。しかし、キリシタン禁制の時代だったのです。神奈川奉行がこの絵を差し押さえようとししていたのです。その時、奉行の方が「ヤソ(イエス)はなぜ十字架につけられているのか?」と尋ねたら、ヘボンは十字架の愛について語りはじめました。(当時の日本人、は「愛」について全然を知らなかったのです。)それは「ご利益のようなものか?」「いえ、そうではありません。愛は、相手のために命を捨てることができるものです。」「そうか、愛とは慈悲に近いものだな。」「いえ、もっと深いものです。自分を傷つける者さえも抱きしめることができるものです。子供が母の手を振り切って、危険の中に自ら入ってしまうように、私たちも自分で何をしているのかわからない罪の中にいます。危険な火事の中に何も知らないで飛び込む子供のような私たちを助けるために、イエス様は十字架の上で代わりに死なれたのです。」その奉行の方は、やっと愛について理解しはじめました。その後、ヘボンは、大使館専属の医師に任命されました。身の危険が及ばないためだったのです。不思議に、十字架の愛について尋ねたその奉行の方がその提言をしてくれたのです。彼は十字架の愛について理解したのでした。

「危険な火事の中に何も知らないで飛び込む子供のような私たちを助けるために、イエス様は十字架の上で代わりに死なれたのです。」主イエスは、自分の安全を顧みずに、危険に突っ込んで行って、私たちを救いました。主は、酷いふう扱われ、暴言を吐かれ、十字架につけられました。正に「十字架のスキャンダル」です。

しかし、私たちにとって主イエスとその十字架は、何よりも、誰よりも、素晴しいのです。1コリント1:24後半「召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」

Wednesday, May 23, 2018

ティム・ケラー牧師


「これが福音です。私たちは、信じられないほど罪深く、欠点があります。しかし、同時に、望む以上にキリストにあって愛され、受け入れられています。」ティム・ケラー牧師

ガラテヤ2:14「しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て。。。」

ティム・ケラー牧師のキリスト中心のメッセージなどを聞いて下さい。

1。 結婚の意味

2。どのように祈るか

3。「説教とは」

4。リバイバル

5。「仕事と霊性」

6。「惜しみない正義」

7。「神学者たちに聞く」



🔍 日本CGNTV :: 世界のための福音の通路より

Monday, May 14, 2018

「神学者たちに聞く」


ティム・ケラー牧師の「神学者たちに聞く」 - 日本CGNTV :: 世界のための福音の通路 〜(1)相互補完主義と(2)”イエスは福音を説教されたか?” (注意:5つの部分に分けてあります。)

「間違った教義は、あなたの霊的健康を食尽す。」ティム・ケラー ”Wrong doctrine eats away at your spiritual health.” 参考:Sound Doctrine — Timothy Keller

テトス2:1「しかし、あなたは健全(ギリシャ語’健康’)な教えにふさわしいことを話しなさい。」

「健康」な教えは、人間中心、行い中心ではなく、神中心、キリスト中心、福音中心、恵み中心、十字架中心の神学です。

Monday, May 7, 2018

「惜しみない正義」


ティム・ケラー 惜しみない正義 - 日本CGNTV : 世界のための福音の通路(注意:四つの部分に分けてあります。)

「神によってこの世の所有物を割り当たられて、他と分かち合わなければ、それはただのケチではなく、それは不正である。」ティム・ケラー  
"If you have been assigned the goods of this world by God and you don't share them with others, it isn't just stinginess, it is injustice.”


ホセア12:6「あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。」

本「惜しみない正義」Generous Justice: How God's Grace Makes Us Just: Timothy Keller: Amazon.com: Books


Tuesday, May 1, 2018

「仕事と霊性」


ティム・ケラー牧師が語る「仕事と霊性」 - 日本CGNTV :: 世界のための福音の通路 (注意:5部に分かれてあります。)

「偶像は、(仕事などの)良いものを究極的なものに変えること」ティム・ケラー

Idolatry “means turning a good thing into an ultimate thing.” Timothy J. Keller

コロサイ3:5後半「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」

ケラーが仕事について:Every Good Endeavor: Connecting Your Work to God's Work: Timothy Keller: 9781594632822: Amazon.com: Books

Monday, April 23, 2018

リバイバル


ティム・ケラー牧師が語る教会のリバイバル - 日本CGNTV :: 世界のための福音の通路 (注意:2部あります。)

使徒の働き1:8「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

『将来来るリバイバルは、祈りのリバイバル(回復)ではじまらなければ成らない。』ナンドリュー・マーレ

Sunday, April 15, 2018

「説教とは」


見て聞いて下さい。ティム・ケラー牧師が語る「説教とは」 - 世界のための福音の通路 (注意:7部に分けてあります。)

ルカ24:32「そこでふたりは話し合った。『道々(主は)お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。』」


「バランスをとらなければならない。箇所を抜きにしてキリストを説教しないこと。キリスト抜きで箇所を説教しないこと。」ティム・ケラー


“We have a balance to strike—not to preach Christ without preaching the text, and not to preach the text without preaching Christ.”


ケラーの説教についての本:Preaching: Amazon.com: Books (英語のみ)

Monday, April 9, 2018

どのように祈るか


見て聞いて下さい。キャシー・ケラー&ティム・ケラー牧師のどのように祈るか (注意:4部に分けてあります。)

マタイ26:41「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

「霊的誠実さの間違えのない検証(test)は、あなたのプライベートの祈りの生活である、とイエスは言われた。」ティム・ケラー

“The infallible test of spiritual integrity, Jesus says, is your private prayer life.”

書籍Prayer: Experiencing Awe and Intimacy with God: Timothy Keller: Amazon.com: Books (英語のみ)

Sunday, April 1, 2018

結婚の意味


見て聞いて下さい。結婚について:キャシー・ケラー(ティム・ケラー牧師の奥さん)が語る結婚 (注意:2部に分けてあります。)

エペソ5:25「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」

「これが福音です。私たちは、信じられないほど罪深く、欠点があります。しかし、同時に、望む以上にキリストにあって愛され、受け入れられています。」ティム・ケラー牧師

“The gospel is this: We are more sinful and flawed in ourselves than we ever dared believe, yet at the very same time we are more loved and accepted in Jesus Christ than we ever dared hope.”  Tim Keller

結婚の意味 わかりあえない2人のために | ティモシー・ケラー, キャシー・ケラー, 廣橋 麻子 |本 | 通販 | Amazon

Friday, March 30, 2018

フィリピン


家族が5日間ほどフィリピンに行きました。

高山右近の像
(家族の写真をシェアしたいですが、子供はNOと言うこと。)

ジプニーに乗る。食べ物も良かった。

フィラルドさん達とその教会を尋ねた。(ジプニーの後ろの2階)
貧しい方に仕えている。

フィリピンは、楽しかった。素晴しい人々です。

Monday, March 19, 2018

家内と私。。。


ホサーナの卒業式の後の家内と私
最近、ジャシュアとホサーナが高校と中学校から卒業しました。
(子どもの写真をシェアしたいですが、子供は嫌がります。)

フィリピン。マンゴースムージーをENJOY。

Tuesday, March 13, 2018

「律法は良き友である」


私がこれ(律法の役割)について学んでいた時、「私にとって律法は良き友であると感じはじめました。良き友は、真実です。厳しいことも、優しいことも言って下さいます。本当の友達は、間違いを指摘して下さるし、助けの道を示して下さいます。そのように、最善の友である律法は、私の罪を指摘し、キリストに導いて下さるのです。

ガラテヤ3:24「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。」

Sunday, March 4, 2018

「律法は私たちをキリストへ導くため」


ジョン・ストット司祭は、このように書きました。『律法に痛めつけられ、傷つけられなければ、キリストへと逃れ、癒されることはない。律法によって、逮捕されなければ、キリストによって解放されることはない。律法によって有罪にされ、死刑にされなければ、キリストによって、正しいと宣言され、命が与えられることはない。自分に失望しなければ、キリストに望みを置くことはない。律法が地獄まで私たちを低くしなければ、キリストは天まで私たちを引き上げる事はない。』

ガラテヤ3:22−24「しかし聖書(「律法」)は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。信仰が現れる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」

Tuesday, February 27, 2018

伝道師ビリー・グラハム


私がとても尊敬している伝道師ビリー・グラハムが天に召されました。「AP通信によると、ビリー・グラハムさん(米キリスト教福音派の指導的牧師・伝道師)が21日、米ノースカロライナ州の自宅で死去、99歳。がんや肺炎を患っていた。」伝道師のビリー・グラハム氏死去 歴代米大統領と親交:朝日新聞デジタル

彼は、福音に忠実なお方であったと同時に、アメリカで差別が多い時、人種を超えて働きました。彼は、キング牧師の友達でした。黒人のジョン・パーキンズ師は、グラハムについてこう言いました。「人種差別のロープを取り除くためにもっと出来なかったことを後悔している、とビリーが私に言ったのを覚えている。彼は、悔い改め、私の赦しをお願いしていた。彼は、(人種差別を取り除くために)多くしたのに、ビリーは、謙虚でした。私は、彼を尊敬します。」What Is Billy Graham’s Friendship with Martin Luther King Jr. Worth? | News & Reporting | Christianity Today

日本でも、外国の宣教師と日本人の牧師をはじめ、皆がキリストの十字架のふもとで、謙る必要があります。一致する必要があります。エペソ4:1−3「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」What Is Billy Graham’s Friendship with Martin Luther King Jr. Worth? | News & Reporting | Christianity Today

参考:米伝道師ビリー・グラハム氏が死去、歴代大統領にも助言 | ロイターCNN.co.jp : キリスト教伝道師ビリー・グラハム師死去、歴代大統領と親交


Sunday, February 18, 2018

勝利と成功の違い


ぜひこのTEDのトークを聞いて下さい。ジョン・ウッデン;勝利と成功の違い - YouTube 一言で「全力を尽くした者が成功者だ」と言いました。勝つことよりも、ベストを尽くすこと。ウッデンは、アメリカで最も成功したバスケットのコーチの一人です。また、敬虔なクリスチャンでした。勝利についてのジョン・ウッデンの名言 | 地球の名言

コロサイ3;17「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」

これも 「勝利者」

Monday, February 12, 2018

一人でも多くの人に伝える


「私が聖書に出会った事は、即ち神の子イエスに出会ったことでもあった。その神の子の愛が私を変えた。こうして聖書は、私にとってなくてならぬものとなった。聖書が、私になくてならぬものなって、初めて私の生きる目標は定まったと言える。それは聖書の言葉を一人でも多くの人に伝えるということであった。三浦綾子

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと。」聖書・1コリント15:3−4 

Monday, February 5, 2018

「神を愛する者は。。。」


「あなたの神に対する愛がどれほど真実で偽らないものであるかを知りたいなら、あなたがどれだけ隣人を愛するかを見るがよい。」聖ウグスティヌス

1ヨハネ4:20−21「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」

Sunday, January 28, 2018

救いを再確認させるため


「人が悔い改めて回心するということに感心と注意を払う必要があるのと同じくらいに、その救いのために信じる続けれる積極的な心遣いと精励が人には必要です。」ジョナサン・エドワーズ

ジョン・パイパーは、それについてこう書いています。「毎回の説教が救いに導く説教です。それはただ、罪人を回心させるためというだけではなく、説教の目的は聖徒の聖なる感情を守り、彼らの召しと選びと救い再確認させるためでもあるからです。」


Wednesday, January 24, 2018

神との交わり2


神との交わりは、デボーション、黙想や静思の時間と言われています。

東洋の黙想は「真理や偽りについて語らないほうが良い」と言います。「全ては、一つ、あなたは、神である、ただ直感を使いなさい」と言います。

でも、キリスト教の黙想・瞑想は、聖書を学ぶ事ではじまります。黙想する時、この質問を自分に問いかけても良いでしょう。「主よ、今聖書から読んだことをここの底から知っていたら、私は、どう変わるのだろうか?」でも、聖書の学びで終わらないのです。その箇所について思いながら、祈るのです。祈りではじまり、素晴しい祈りで終わるのです。リチャード・バクスター「黙想は、魂が燃えるまで、その箇所の真理について祈るのです」と言っています。

あの偉大な聖アウグスティヌス(西暦354−430)は、瞑想は、聖書の真理で始まる、と書いていました。心が悪と偽りで満ちていたと知っていたから、御言葉によって導かれなければならない、と彼は、言っていたのです。魂が神へと登り行くなら、三つの要素が必要と言っていました。ラテン語で(1)RETENTIO、(2)CONTEMPLATIO、(3)DILECTIOと言います。RETENTIOは、次の通りです。聖書の箇所の大事なポイントを掴み、思い巡らすのです。CONTEMPLATIOは、瞑想であって、その真理を通して神を仰ぎ見ることです。聖霊様が御言葉を通して語り、その恵みによって、圧倒されるのです。(3)DILECTIOは、喜びを意味します。

ピュリタンのジョン・オウェンは、こう書きました。「先ず、思いを働かせます。霊的な真理に思い...を集中させるのです。次は、感情(affections 、心、愛情)をこれら(の真理)に向けるのです。これによって、霊的真理を捕らえ、引かれるのです。最後に、楽しみ、味わうのです。ここに霊的生活の甘味と満足があるのです。体験する事によって、神が恵み深いお方である事を味わい、キリストの愛は、ぶどう酒より素晴しいこと味わうのです。」

参考:牧師Timothy Kellerのメッセージ

もっと読む:「キリストの十字架の伝道師」: 詩編1編 「神との交わり」

Monday, January 15, 2018

「主を体験する」エペソ1:15−23、3:14−19


先ず、エペソ1:15−23エペソ3:14−19を読んで下さい。

「この自分で良いのか?」と思ったことはありませんか?「罪赦され、天国に行けるが、今、より主とその恵み知りたい。豊かな命を本当に体験したい!」キリスト教が日本に再び帰って来た頃からやく150年ですが、クリスチャン人口は、今も、まだ0.5%に過ぎません。どうなっているのでしょうか?日本人も、外人も、いろんな手段を使って、頑張って来ました。0.5%の壁を切り抜けるカギはあるのでしょうか?成長と前進のための希望は、何でしょうか?その応えは「主を体験する」ことだと私は、確信しています。

エペソの教会の兄弟姉妹は、1:15、イエス様に対する「信仰」は、兄弟姉妹への「愛」は、確かにあったのです。それでも、パウロは、御霊によるさらなる恵みを祈ったのです。「主を実に体験する」ように。1:17、19「知る」、3:18「理解する」という似た言葉が繰り返されています。この「知る」は、単なる頭脳に詰め込む知識ではなく、体験する、実感する、直接親しく知る、という意味があります。特に3:18の「理解する」するは、「掴む」捕らえる、と言う意味があります。「びっくり仰天する」までです。私たちは、教義を知る必要もあるし、従順に従う必要もあります。でも、ただ頭で知る、ただ従うだけではなく、心の奥底まで神とその恵みに感動できる、とこの両箇所が言っているのです。この恵みは、特別のクリスチャンだけの体験ではなく、1:18全ての「聖徒」、19節「信じる者」、3:18 「すべての聖徒」誰でもが体験できる恵みです。こんな私でも、あなたでも。

1。1:17、神を知る。私たちは、知識において、神を知って、信じています。でも、ここでは、ただ「神について」学問的に知るように祈っていません。また、御利益のために祈っていません。すでに信じ受け入れている素晴しい神御自身を直接実感できるように、祈っています。

ブレーズ・パスカルのような体験を引用することによって説明する事ができます。「恵みの年1654年、1123日月曜日、聖クレメントの晩餐・・・夜10時半を過ぎたあたりから深夜12時半頃、炎。哲学者や学者の神ではなく、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。確信と、心からの喜び、平安。イエス・キリストの神。イエス・キリストの神。『私の神、そしてあなたの神。』・・・喜び、喜び、喜び、喜びの涙・・・イエス・キリスト。イエス・キリスト。二度と主から離れることがありませんように。」このようにパスカルは、神を体験したのです。あなたも、私も、出来ます。その為に祈りましょう。

2。1:18、遺産を知る。ここでは、「聖徒の受け継ぐもの」とあります。簡単に言うと「霊的財産を知って欲しい」ということです。文脈を読むと、私たちの遺産は、5節、神の「子」であること、11節「御国」などです。2:6、王子として「天の所にすわらせてくださいました。」この遺産は、すでに私たちのものですが、そのように私たちは、あまり生活していないのです。霊的遺産を実感し、それによって活かされましょう。そのように先ず祈りましょう。

例えば、ある孤児が、ある女性と出会います。その女性は『あなたを養子にしましょう』といます。女の子は、理屈などを言って「どのくらいの財産があるか?」と聞きません。ただふところに飛び込みます。母親となった女性は、金持ちだとしましょう。娘となった女の子の小さい時、お金は、どうでもいいのです。でも、成人したら、母親は、財産について知って欲しいのです。「あなたの財産は、100億となります。あなたには、すごい影響力が与え、人を助けられます。心を準備して下さい。」100億円が口座に入っていたら、その娘の価値は、100億です。金持ちで、絶対雑誌に名前が乗るのです。でも、銀行に口座があっても、引き下ろして、使わなければ、意味ないのです。でも、活用したら、生活が変わるはずです。教育、服、家、車、すべてが変わるのです。私たちは、キリストにあって考えられないほど富んでいます。本当に!でも、神様からの遺産をただ持っていることと、用いていることとは全然違うのです。心が爆発するまで、神の「相続人」であることを瞑想する必要があるのです。エペソ1:3後半「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」遺産について考えて、感謝し、で活用しましょう。

3。1:19−23、力を知る。神の信じられないような力がすでに私たちの内に働いているのです。20節、キリストの復活と栄光の力です。「キリストを死者の中からよみがえらせ、(さらに)天上においてご自分の右の座に着かせて、(さらに、21節後半)すべての名の上に高く置かれました。(さらにどんな力でしょうか?22節) いっさいのものをキリストの足の下に従わせ(さらに、さらに。)」この力が私たちを神の子どもにしたのです。この力が私たちを今キリストの似姿に変えているのです。この力が主イエスの身元まで連れて行って下さるのです。この力をとことん実感するように、とパウロは、祈っています。

ある方がハイキングをしていると、野原の向こうに家があるのが見えました。家の横には、男の人が激しく手動の井戸から水を汲んでいるような光景が見えました。その男は、ものすごい勢いで、まるで疲れを知らないかのように、上下にポンプを押し続けていました。本当に驚くべき光景なので、その人は、その井戸のほうへと近づいていきました。近づくにつれて、井戸のところにいるのは、男ではなく、男性に見えるように描かれた、木でできた人の形でした。猛スペードで水を汲んでいたと見える腕は、ひじとちょうつがいで繋がっていて、手は針金で井戸の取っ手に繋がっていました。水が溢れ出ていたのは、その木でできた人形によるのではありませんでした。それは掘り抜き井戸で、水がポンプなしでも地上に湧き出てくるので、力強く湧き出てくる水が、その人形を動かしていたのです。神の力は、キリストに出会った時から、すでに私たちの内に力強く働いているのです。私たちは、ただこれを深く知り、私たちがしなければならないことは「私たちの手を井戸の取っ手に置いておく」ことだけなのです。祈りを通して、この力を捕らえましょう。

4。3:16−17前半、キリストを知る。この箇所では「キリストが心のうちに住んでいてくださいますように」とあります。これは「キリストの臨在」を意味しています。キリストは、常に一緒に、心にいて下さる、と聖書に書いてあります。が、それを実感しているでしょうか?

アメリカの牧師ヨナタン・エドワーズの体験は、こうです。「1737年、ある時、森の中で馬に乗っていた。静かなところで、馬を下りた。私は、この習慣を普通にしていて、歩きながら神について瞑想し、祈っていた。私は、神と人との間の素晴しい仲介者御子なる神の栄光を見た。彼の素晴しい、偉大な、満ち足りている、清いまた甘い恵みと愛、また謙遜と柔和な謙り。この恵は、とても静かに心地良く現れ、天より高く偉大なものとして現れた。人としてのキリストは、全ての思いと考えを飲み込むような、言葉で言い表せないほど素晴しい方として現れた。これは、判断出来る限りだいたい一時間続いた。この多くの時間、涙が溢れ、大きな声で泣いた。私の魂が熱心になるのを感じた。他の言葉で言えないが、私は、空にされ、絶やされた気がした。何もない者とされて、ただキリストで満たされた。聖なる清い愛で彼を愛すること。彼に頼ること。彼によって生きること。彼に仕え、従うこと。天からの神の清さで完全に聖別され、清くされること。私は、他の何回も、似たようなことを実感し、似たような効果もあった。」主は、近くにいます。心にいます。主に目を向け、御前で歩みましょう。

5。3:17後半—19前半、愛を知る。私たちは、皆、愛に飢えています。子供は、どんなに愛されていても、もっと愛が欲しいのです。でも、子供だけではなく、大人は(隠すのは、上手ですが)同じように愛に飢えているのです。 17節後半、私たちは、すでにキリストの「愛に根ざし、愛に基礎を置いてい」ます。愛を知っていますが、私たちは、その圧倒的な素晴しさを味わっていないのです。どの位の素晴らしさですか?18節後半「その広さ、長さ、高さ、深さ 人知をはるかに越え」る愛です。この愛を掴み、捕らえたくはありませんか?

ニューヨークでDLムーティーは、このような体験をしました。「突然神は、忘れられないようなふうに下って来ました。(神の)愛があまりにも心に注がれて『止(と)めて下さい』と言わなければなりませんでした。」ジョージ・ウィットフィルドは、夜祈る時、神の愛の注ぎをあまりにも体験し、眠れなかったことで「主よ、止めて下さい。眠れないです」と言わなければなりませんでした。ロンドンのCHスポルジョンは、神の愛についてこう書いています。「ある時、神の愛をあまりにも強く体験し、耐えられなかったから、その喜びを止めるように、お願いしなければならなかったのです。」スペインのアビラのテレサは、こう書きました。「私は、彼の愛に当惑し、酔ってしまいました。私の魂は、叫び、戸惑いました。こんな喜びには、耐えられませんでした。」違う時代、文化、性格、伝統の方々が同じキリストの愛に圧倒され、「止めて下さい」まで言わなければならなかったのです。キリストの愛を体験しましょう。

6。19後半、神の満ち満ちたものを知る。17—19の神の愛だけではなく、16−17の神の臨在だけではなく、1:19−23の神の力だけではなく、キリスト者は、神のあらゆる属性・特徴を体験し、3:19後半「満たされ」たいのです。神の栄光、真実さ、聖さ、義(正しさ)、善、知識、知恵、美、喜び、平安、忍耐、親切、謙遜に。

この神の属性をダイヤに例えられます。ダイヤには、いろんな面があります。ダイヤを回すと、それが光ったりして、ダイヤを違った角度から見たりすることが出来ます。神の、キリストのあらゆる素晴しさを見て、体験し、満たされるのです。神の栄光、麗しさ、「美」に圧倒されるのです。体験したことありますか?そのために祈りましょう。

どのようにして?(1)神の主権、摂理と恵みによって、神の側から与えられるのです。1:17、3:16「御霊 … 御霊」が指導しなければなりません。でも、私たちの側からは、「神との交わり」がカギです。ある先生は、こう言いました。「私たちは、主が歩む道の近くにテントを貼る必要があるのです。」(2)聖書を味わい、この真理について瞑想するのです。十字架に架かれた私たちを愛するキリストを崇めるのです。これをとことん知っていたら、私は、どう変わるだろう?と自分に問いかけるのです。神との関係、妻、夫、子供、親、同僚、友達との関係は、どう変わるのだろう?(3)そして、この箇所のように祈るのです。「神とその恵みを体験させて下さい」と。私は、このために常に祈っています。

アビラのテレサは、この神を体験することについて本「内なる城」に書いています。先ず、霊的に眠っている状態がある、と言っています。”Sleep-walking”と言って、眠りながら歩んでいる状態です。神との交わりがあることも知らないのです。次に、綱引き状態です。問題があって、目覚めて、『人間的なものが自分を救えない』と分かって、聖書を読み、祈りはじめます。三、自分の限度まで来るのです。霊的に後退しているような気がするのです。罪の意識が高まるのです。四、「安らぎの祈り」が与えられるのです。やっと本当に『救いは、ただ恵みと信仰による』こと、ただただ愛されていることを悟るのです。最後に、神の恵みを掴んだから、新たに恵みの訓練を行うのです。神との交わりの素晴しさを定期的に味わうのです。(聖書を味わい、祈るのです。)砕かれながらも、神のみ顔を、キリストの贖いを最も喜ぶのです。

神を真に知る結果は、多くの方々の救いです。高山右近は、前田藩の金沢に逃れました。1601年、京都から一人の宣教師を招き、数回に渡って福音を宣べ伝えました。そして、71人が洗礼を受けました。その内の30数名は、前田利長の大事な職にあった家来でした。3年後には、信者は、1500名に達しました。ある年、教会が一気に活気を帯び、洗礼者は、数百人にもなったのです。なぜこのように祝福されたのでしょうか?私は、右近は、神を深く知ったからだと思うのです。右近にとって茶は、たんなる芸術や趣味ではなく、茶室は、神様との交わりの時を持つ「祈りの場、瞑想の場となっていた」のです。「キリストの受難を黙想する」場でした。デウスの生ける神を親しく体験する場でした。

北海道大学のクラーク博士は、こう言いました。「青年よ、この老人の如く、大志を抱け!」父は『それに「キリストにあって」がついていた』と言いました。私たちが慕うものは、あまりにも小さいのではないでしょうか?今日の箇所のような素晴しい恵みがあるのです。天地を造られた生ける神、その臨在、力、愛を体験しましょう。この方を志すほど素晴しいものはないです。これが私たち自身を劇的に変え、日本を本当の意味で祝福するのです。