Wednesday, October 30, 2013

宗教改革の日


10月31日は、宗教改革の日です。 

「起こらなければならないことは、福音そのものの新たな理解です。。。福音とその素晴らしさが全体的にまた明確に伝えられた時に、神がその贖いの力を用いて教会と世を新たにするのです。神は、他でなく、福音そのものに、救いに至る力を与えるのです。」R.C.スプロール


"What has to happen is the renewal of the understanding of the gospel itself. It is when the gospel is clearly proclaimed in all of its fullness that God exercises His redeeming power to bring about renewal in the church and in the world. It is in the gospel and nowhere else that God has given His power unto salvation." RC Sproul


「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:24

英語で宗教改革の原動力について読む:Fueling Reformation by R.C. Sproul | Reformed Theology Articles at Ligonier.org


Monday, October 28, 2013

キリストの光



「キリストの光を与えない言葉は闇を増す。」マザー・テレサ

"Words which do not give the light of Christ increase the darkness." Mother Teresa

「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」コロサイ3:16

Wednesday, October 23, 2013

「ただ挨拶しに来たんだ。」



ある牧師は、昼間に、教会を通り抜けて、誰が祭壇のほうで祈っていたか、確かめに行きました。その時、突然、戸が開いて、誰かが通路を歩いて来ました。男は、ひげを剃っていなかったので、牧師は、顔をしかめました。男のシャツは、切れていて、ぼろぼろで、彼のコートは、すり切れていて、ほぐれていました。彼は、ひざまずいて、頭をかかげました。それから、立ち上がって、歩きさりました。その数日も、丁度、昼時、牧師は、この男を見ました。毎回、数分、弁当箱をひざにおいて、ひざまずきました。

それで、牧師は、男のことを怪しく思いはじめました。牧師は、とまって男に聞くことを決めました。「ここで何をしているの?」年老いた男は、自分は、工場の労働者で、お昼ごはんは、30分間で、力を得る為に祈りに来たと。「工場は、遠いから、数分しかいないし。ひざまずいて主に祈る時、こんなふうに祈るんだ:『わしの罪を取り除いて、友達に成ってくれた時以来、わしは、どんなに幸せか、あんたに伝えに来た。わしは、祈りかたは、良く知らんが、毎日、あんたのことを思い出しているんだ。だから、イエス様、わしの名は、ベンで、ただ挨拶しに来たんだ。』」牧師は、恥ずかしく成って、ベンに「良いよ、いつでも祈りに来ても良いよ。」と
言いました。

「行かなくちゃー。ありがとう」とベンは早く去って行きました。それで、牧師は、前やったことが無かったが、祭壇でひざまずきました。そこでイエスと出会い、彼の冷えた心が溶け、愛によって暖かく成りました。涙が頬に流れながらも、老いたベンの祈りを再び祈りました。「私の罪を取り除いて下さって、友達に成った時以来、私は、どんなに幸せか、あなたに伝えに来ました。私は、祈りかたは、良く知らないが、毎日、あなたのことを思い出しています。ですから、イエス様、私です。ただ挨拶しに来ました。」

ある日、お昼が過ぎて、牧師は、ベンが来なかったことに気が付きました。数日がさらに過ぎても、ベンは、来なかったので、牧師は、少し心配しはじめました。工場で、ベンについて聞いて、病気だと分かりました。病院は、ベンのことを心配していましたが、逆に彼は、皆を喜ばしていました。一週間共にいたベンは、病棟に変化をもって来ました。彼の笑顔と喜びは、人から人へと広がって行きました。人が変わることが彼の報酬でした。

看護婦長がどうしてベンがそんなに喜んでいるか理解出来ませんでした。なぜなら、花も、電話も、手紙も、お訪問も全然なかったのです。牧師は、病棟に残りました。看護婦の心配をベンに伝えました。彼を愛する人は一人も来なかった。身寄りもいない。驚きながら年老いたベンは、笑顔で話しました。「看護婦は、間違っているよ。彼女が分かるわけは無い。彼は、いつも来ているよ。毎日の昼に、彼わしの特別な親友が来るんだ。あの、彼は、座って、わしの手を取って、近よって、こう言うんだ。『私がベンの罪を取り除いて、友達に成れて、私は、どんなに幸せか、あなたに伝えに来ました。毎日、あなたのことを思い出して、あなたの祈りを聞くのが大好きです。ベン、私は、イエス・キリストです。ただ挨拶しに来ました。』

Wednesday, October 16, 2013

『AからZ』


「恵みの福音は『私たちの信仰のABC』だけではなく、福音は、私たちの信仰の『AからZ』です。」テム・ケラー

"The gospel of grace is not just the 'AB-Cs of our faith' but the gospel is the 'A to Z' of our faith." Tim Keller

『私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』ローマ 1:16-17 

Amazon.co.jp: ティモシー ケラー: 本 「放蕩する」神、偽りの神々

プディング


プディングを)母はわざわざ手作りしました。一生懸命料理したものを冷蔵庫に入れ、一日かけて固めるのです。。。ある日の午後、6人の子供のうち誰かが親指くらいの大きさの 穴をプディングに残したのです。犯人は親指をつっこんでそれにたっぷりとプディングをつけてぺろりと食べたのでしょう。。。母は頭の良い人で『一列に並んで親指を出しなさい』と言い、一人づつ順番に親指の大きさを測ったのです。犯人は兄のゴードンでした。プディングの穴はどれだけの大きさの指が入るか表していたのです。。。聖書全体が人間の堕落した状態を示しているということはつまりどの箇所もそれが書かれなければならなかった程の問題があったということです。穴、すなわち堕落状態が示されている時は同時に穴を埋めるべき容積の神ご自身についても何かが明らかになっています。。。聖書にみられる穴、つまり人間の堕落は人間が実際に盗みを働く盗人であるが故に神様が何をしなければならなかったのか何をしているのか(救い)を 示しています。」ブライアン・チャペル

「しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」ローマ5:20後半


Tuesday, October 8, 2013

ブログの目的


上にあるように、私、ダビデ・ジャンカー、が『福音バカ』です。「釣りバカ日誌」のハマちゃんが釣りに夢中になっているように、私はキリストの福音と恵みに夢中になっているのです。

聖パウロはこう書いています。「私たちはキリストのために愚かな者です。」(1コリント4:11)また「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません」と書いています。(ガラテヤ6:14)福音は、三浦綾子氏によると、聖書のエッセンスで「最もたいせつなこと。」(1コリント15:3)私達の主なメッセージです。


キリスト者の「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」(1コリント1:23)『ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』(ローマ1:15−17)福音は、私たちを、キリストの姿に変える素晴らしい力があるのです。また、全てを変える恵みがあるのです。それを信じる信仰が基本です。ノンクリスチャンだけではなく、クリスチャンも、牧師も、宣教師も。


私のブログは、キリストの福音を全ての分野に適用するように勧めようとしているのです。私とともに、キリストの福音にある『恵み』に魅了され、それによって活かされ、仕え、それを伝えようではありませんか?


Monday, October 7, 2013

わたしの望みは主イエスだけにある


1、わたしの望は主イエスだけにある 揺がぬ礎
真の光よ その高き愛と 永遠の平和
真の慰さめ すべてのすべてよ

2,この世に来られた 神の独り子は 恵みと真に
満ちておられる主  十字架の苦しみ 御神の怒りを
その身に負われて 人を救われた

3,闇夜にさ迷う 世界を照らして 輝く栄光
イエスの甦り  主イエスの勝利に 死の刺折られて
尊い血潮は わたしを贖う

4,恐れは消え去り 罪は赦された わたしの歩みは
御手の中にある  この身をイエスより 離すものはない
終わりの時まで イエスに拠り頼む

教会福音讃美歌359

日本語で聞く:教会福音讃美歌359番「わたしの望みは」 - YouTube

英語で聞く:Gettymusic - Online music

「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」聖書・1コリント 3:11