Tuesday, August 26, 2014

「悪の前で沈黙を保つ事はそれ自体も悪である。。。」


クリスチャンは、中東で、特にイラクとシリアで、根絶されています。前からは、サウジアラビアやイランで、最近はスーダン、エジプトやナイジェリアで、今は、ISISによってシリアとイラクで。歴史最大な反逆罪の一つと、このイギリスの新聞が言っています。Douglas Murray: Christianity being cleansed from Middle East by ISIS | Express Comment | Comment | Daily Expressしかし、なぜ日本と世界のMEDIAは何も言わないですか?

ナチスに抵抗したボンへファーはこう言いました。「悪の前で沈黙を保つ事はそれ自体も悪である。神は、私たちを無罪ににはしない。語らない事は、語る事である。行動に移さない事は、行動に移すことである。」”Silence in the face of evil is itself evil: God will not hold us guiltless. Not to speak is to speak. Not to act is to act." Dietrich Bonhoeffer

「洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。」イザヤ1:16−17

Thursday, August 21, 2014

『宣べ伝え』


「恵みの宣べ伝えは、悔い改めの宣べ伝えのみによって守られる。」ディートリッヒ・ボンヘッファー

“The preaching of grace can only be protected by the preaching of repentance.” Dietrich Bonhoeffer

「。。。悔い改めて福音を信じなさい。」マルコ 1:15後半

Wednesday, August 13, 2014

青木湖でキャンプ


わが家族は、今週の月から水、青木湖でキャンプ。
松本から北へだいたい1時間半。






神が造られた物はみな良い物で、
感謝して受けるとき、
捨てるべき物は何一つありません。」聖書・1テモテ 4:4

Friday, August 8, 2014

脇腹から


「(女は)男に勝るために頭から、あるいは男に踏みにじられるために足から造られたのでもなく、男と平等であるべく脇腹から、守られるために男の腕の下から、そして愛されるために男の心臓の近くから造られたのである。」マシュー・ヘンリー(左絵)

「神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。」聖書・創世記2:21−22


Tuesday, August 5, 2014

月面での聖餐式


45年ほど前、1969年6月20日、『月』に行ったニール・アームストロングと一緒にいたバズ・アルドリン宇宙飛行士は、こう確信しました。神と科学は、矛盾しないと。着陸した時、アルドリンがヒューストンのミッシオンコントロールにこう語りました。「ヒューストン、これはイーグル。。。LM(Lunar Module, 飛行船)のパイロットです。数分の黙祷をお願いします。。。」そして、無線をきりました。少したったら、イエスの言葉を引用しながら『月』で聖餐式をお祝いしました。後で彼は、聖餐式についてこう語りました。「私は、パンとぶどう酒が入っていた包みを開け、私の教会が下さった杯にワインを入れました。引力の少ない月で、そのワインは、したやかに曲がりながら杯のはじを登りました。そして、この聖書の言葉を読みました。「私は、ブドウの木で、あなたがたは、枝です。誰でも私にとどまるなら多くの実を結びます。」そして彼は、詩編8:3−4を読みました。「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」

『月』に行った宇宙飛行士は、月や宇宙を見ながら、人間の小ささを告白しました。でも、また、創造主は、私たちを顧みて下さる、と確信したのです。何と言う愛でしょう。創造主は、人となり、十字架上で私たちの死ぬべき永遠の死を代わりとなって死んで下さり、救って下さいました。また、復活して下さいました。さらに、ここに、この教会に共にいて下さいます。素晴しい恵みです。人間の月面着陸が本当のように、十字架の愛も本当で、今も、ここで、本当に体験出来ます。。。主イエスとその贖いを実感しましょう。

「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。聖書・マタイ 26:26-28

参考:First Communion on the Moon

Friday, August 1, 2014

キリスト中心に聖書を読み語る



「もしも私たちが聖書、特に詩編、を読み、祈りたければ、私たちは、先ず、自分とどう関係あるかではなく、イエス・キリストとどう関係あるかを聞くべきである。」ディートリッヒ・ボンヘッファー

"If we want to read and to pray the prayers of the Bible and especially the Psalms, therefore, we must not ask first what they have to do with us, but what they have to do with Jesus Christ." Dietrich Bonhoeffer

*私たちは、先ず、神中心に、キリスト中心に聖書を見るべきである。その次に、自分がどうあるべきか、または、するべきかを聞くべきである。