Monday, June 29, 2015

「私は、ほんとうにみじめな人間です。」


徳川家康は、一回だけ負けたのです。それは、30代の頃の武田信玄との三方ヶ原の戦いでした。彼は、家来などのアドバイスを無視して、城から出たのです。彼が過剰の自信を持ったときです。そして、彼がこれを忘れまいと、ある絵描きにこの愚かな自分の姿を書いてもりました。そして、それを常に近くの壁に貼ったようです。。。キリスト者よ、自分の心にひそんでいる罪をわすれるな!でも、また、キリストの十字架の赦しを忘れるな!

ローマ7:24−25「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」

Wednesday, June 24, 2015

YOUTUBEで青柳泉氏を



6月14日、青柳泉氏が豊かな命教会で彼のキリストとの出会いの体験を語りました。これをYOUTUBEでぜひ聞いて下さい。

彼は、1949年東京に生まれ、一歳の時、母を亡くし、父の実家である山梨の伯父夫婦の養子となりました。高校まで山梨で過ごし、大学から東京での生活をスタートしました。23歳で就職し、3回の転職を経ました。2013年6月末、大手企業専務取締役を退任しました。現在は、聖書のⅠペテロ4:2のみことばを握りしめ、家内と共にアクラとプリスキラのような聖霊に満たされた夫婦を目指し祈り、各地(東北の被災地、天草、病院、養護施設)を訪問させていただいています。

「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」マタイ5:13−16

Monday, June 15, 2015

神の和解を受け入れなさい。


「私たち自身が、神の前にひれ伏して、私たちと和解して下さいと懇願すべきであったのだ。それどころか、私たちが目にするのは、神が御子の死によって私たちを御自身と和解させ、さらにその和解を受け入れるよう私たちに懇願しておられるお姿である。」ジェーリー・ブリジェス

2コリント5:20−21「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。『神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。』」

Wednesday, June 10, 2015

寺社油事件。。。


今日の午後のTBS「ひるおび!」で神社仏閣に油を付けた犯人、金山昌秀、について聞きました。ニュヨーク在住の日本人医師で、クリスチャンだそうです。また、韓国の教会のメンバーで、最近宗教団体をはじめたようです。日本の警察は逮捕状を用意しています。彼についての情報を提供したのは村上密牧師です。でも、アメリカにいるから今のところ逮捕できなのです。

どうして日本のテレビは、クリスチャンが油を神社仏閣に付けた事でここまで大きく取り上げているか、が気になります。でも、僧侶が殺人をした事で、ほとんど聞かないのか、がとても気になるのです。(松山市の僧侶による女性殺害事件 犯行ナイフが海中で発見される - ライブドアニュース)差別でしょうか?

しかし、金山
昌秀が日本の神社や仏閣にダメージを与えた事は、とても悪いです。罪です。彼は、油を注いで、悪を祓うつもりでした。また、日本の伝道がそれによって進むと思ったそうです。でも、この行為によって、より日本の伝道が難しくなると思います。

変なのは、彼は「油を注ぐ」事によって悪を祓うと思っていたようです。でも、聖書では、人に油を注ぐ時は、その人が神に特別に選ばれた、という意味があります。イエス・キリストの名前「キリスト」(メシヤ)は『油注がれたもの』という意味です。また、神の御用のために物を聖別する意味もあります。病人に「油を注ぐ」と癒される可能性がある、と聖書(ヤコブ5:14)にあります。とういうことは、油を注ぐと言うイメージは、祝福を意味しています。ですから、彼の行為は、とても不思議で、聖書と反対です。(寺社油事件:キリスト教関係者困惑「聖書と関係ない行為」 - 毎日新聞


彼は、クリスチャンと名のっているからいちよう私たちクリスチャンの兄弟です。兄弟がこのような事をするのは、とても恥ずかしいです。私たちも、低くされます。でも、彼の兄貴として「もうキリストの名を侮辱するのを止めなさい。」と言いたいです。


他の人の宗教のものを傷つける事は、彼らの「心」を傷つける事です。また、彼らを傷つける事は「神に似せて造られた」人間を傷つける事です。天地人間を造られた神に失礼です。主の愛を体験した私たちは、違う宗教であっても、隣人を愛するはずです。


ですから、どんなに「言論の自由」と言っても、イスラム教のモハメットをバカにするパリの雑誌は、間違っています。隣人愛ではないです。(フランス式「言論の自由」は、普遍的ではない )油を神社仏閣に付けたクリスチャンは、他の信仰の人たちを傷つける権利はないのです。これも、隣人愛ではないです。


参考:神社液体被害で逮捕状 被害を受けたのは建造物よりも日本人の心 | ザ・リバティweb


Wednesday, June 3, 2015

私たちの代わりに罪とされた


「神はキリストが受けて当然の扱いを私たちに対して為さるために、私たちが受けて当然の扱いをキリストに対して為されたのである。」ジェーリー・ブリジェス

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」2コリント5:21