Sunday, November 26, 2017

ニュース


父母(ジャンカーCF & パトリシア)が始めた豊かな命聖書書店で宗教改革関係の展示と
リーダーシップについての学びが最近新聞で紹介されました。



クリスマスのプレゼントをこの書店でぜひ買った下さい。

Sunday, November 19, 2017

『受けるよりも、与えることが幸いである。』


愛するクリスチャンよ、あなたがたは、夜も昼も真の葡萄の木(キリスト)の枝になれるように祈ります。あなたがたは、キリストのかたちに造り変えられるように祈ります。ならば、キリストのように施しをするべきです。「キリストは、富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」

反対第1、『私のお金は自分のもの。』応え:キリストは『私の血は私のものだ。私の命は私のものだ』と言えた可能性があります。だったら、私たちは、どうなったいたでしょうか?

反対第2、『貧しい人は値しない。』答え:キリストは『彼らは、罪深い者で、こんな人のために命を与えましょうか?良い天使に与えましょう。』しかし、そうしませんでした。100匹をおいて、失われた1匹を見つけました。値しない者のために血潮を与えました。

反対3、『貧しい人は、それを悪用します。』答え:キリストは、同じことを言えたでしょう。さらにより的確に。キリストは、多くの人が御自身の血を踏みにじることを知っていました。ほとんどがそれを軽蔑することを。その血によった罪を犯す言い訳にすることを。それでも、血潮を流されたのです。

ああ、私の愛するクリスチャン、キリストのように成るのなら多く与えなさい、常に与えなさい、自由に与えなさい、罪深い貧しい人たちに、感謝しない、値しない人たちに。

キリストは、栄光に満ち、幸せです。私は、お金を願っているのではなく、あなたの幸せです。キリスト御自身の言葉を覚えなさい。『受けるよりも、与えることが幸いである。』」

ロバート・マーリー・マックシェーン

造り主は、「驚くばかりの恵み」を私たちのような値しない人に無償で与えています。それと似て、それに値しなくても、私たちの献金と行いを物質的に恵まれてない人々に与えるのです。

エペソ2:3、4、6「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」

Wednesday, November 1, 2017

CPI


先週、埼玉で、日本全国からの牧師と宣教師(600人ほど)がCPI (Church Planting Institute) に集まりました。ある方は、元々、フィンランド、スイス、南アフリカ、ドイツ、香港、台湾から来ました。北海道や沖縄からも来ました。

主なテーマは『福音に生かされ、奉仕する』ことだと感じました。『人を造り変える福音の力』(The Transforming Power of the Gospelと言う記事が渡された小冊子にありました。次が序文です。

私(ステイーブン・チルダーズ)は回復途上にあるパリサイ人です。私は、神からの賞賛よりも、人からの賞賛のほうを好みます。神様を本当に知る事より、神様に関する知識や敬虔らしさを優先させてしまいます。私は長年の間に、自分の霊的現実(リアリテイー)の欠如を巧妙に隠す手段を覚えました。福音の正当性を主張することが出来ますが、自分の生活の中で、福音の人を造り変える力を経験することはしばしば失敗します。

数年前フロリダ、オーランドの改革派神学校で、牧会の博士課程の授業を教えていた時、私の中にあるパリサイ主義の根深さを明らかに示されました。ある日の授業で私の一緒に教えていた同僚は、そのクラスにいた多くの牧師やクリスチャンのリーダー達が失望し、霊的に敗北しているようだということに気付きました。私自身も戦い、苦しんでいました。しかし私の場合、それを見事に隠して教壇に立っていたのですが。

私の同僚は彼の周りで人々が痛みを抱えているのを見て、私をそばに呼び、クラスを三人ずつのグループに分けて、お互いに福音を伝えあうようにさせたらどうかと言いました。私は驚いて、「何だってそんなことを。」と思いました。「彼は、クラスの中に本当のクリスチャンではない人がいると思ったのだろうか。授業を中止してお互いの必要を分かちあい、祈りあうというのならわかるけど、お互いに伝道しあうなんて。」

しかし、彼が説明するにつれて、自分の考えがいかに間違っているかに気付きました。福音はノンクリスチャンだけに必要なもので、信じてクリスチャンになった後の生活には、あまり関係ないものと考えていました。その日から私は、福音は私が一度だけ通れば良い門ではなく、日々そこを歩いて行くべき道なのだということがわかり始めました。。。。

もっと読む『人を造り変える福音の力』