朝日放送の「大改造!!劇的日フォーアフター」の匠の一人は、”自然素材の伝道師”となっています。。。私は”キリストの十字架の伝道師”で、私のこだわりです。ガラテヤ 6:14前半「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」1コリント 1:23 「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」私は、特にキリスト者のために、神の恵みと主イエスの十字架を強調したいのです。これが私たちの生命線です。。。特に、右の「キリスト中心のメッセージ」、「日本の教会の現状と展望」&「人を造り変える福音の力」を読んでほしいです。
Wednesday, December 18, 2013
“助けてくれー”
昔、中国で儒教の先生がクリスチャンになりました。その弟子たちが来て「先生はいつでも軽挙妄動をおさめておりながら、なんですか!あの毛唐がきて、いっぺん説教を聞いただけでクリスチャンになるなんて。それは聞こえません」と抗議を申しこんみました。そこで先生は次のような例えをしました。
「私は野原を歩いて、足を滑らせて野中の井戸に落ちてしまった。“助けてくれー”と叫んでいると、孔子が通りかかって声をかけてくれた。『お前はどうしてこんなところにいるのかね。』『野原を勝手に歩いていたもんですからおこっちたのです。』『それはいかん。ちゃんと人の通る道がある。道でないところをお前が歩いたから、こういうことになったんじゃ。以後気をつけれよ。ちゃんと人間の道をあるけよ』と教えて下さいました。けれども今、野中の井戸に落ちている私は、そんなことは千も万も承知しています。この井戸から出してくださる人が欲しいのです。
また“助けてくれー”と叫んでいると、足音が聞こえてきた。やれやうれしやと思ってみると、お釈迦さんでした。そしてまた『どうしてお前は落ちたのか。ああかわいそうなことをしたものよ。なんでも気をつけないとこんな目にあうぞ。助けてつかわすから手を出しなさい』とおしゃいました。手をのばしたら、お釈迦さんも手をのばしてくださまたが、どうしても一尺ばかりたりながったのです。そこでお釈迦さんは『さてさてお前は業が深いのう。前世の因縁じゃ、あきらめよ』とおっしゃって、向こうへ行ってしまいました。
だが、あきらめきれないので、“助けてくれー”と、なおも叫んでいました。するとこんどはイエス・キリストが来ました。いやなやつが来たな、と思っていやな顔をしていたけれども、なにせ、だれでもいいから助けてむらおうと思って手をのばしたところが、どうしてもたりないのです。そうしたら、そのキリストが井戸の中にとびこんで来て、しゃがんで『私の肩にのりなさい』というから、その肩にのったら、その肩の足をサーッと押しあげて外へ出してくれた。『もう二度と来るんじゃないよ』と言ってくださいました。
「だから私は、キリスト教を信じたんだよ。」
「人の子(イエス・キリスト)は、失われたものを捜して救うために来たのである。」聖書・ルカ19:10
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