Wednesday, January 20, 2016

謙遜の実践


笑う。自分がへまをおかす時笑えるのです。テリー・ラインダバルは、こう書きました。「笑いは、謙虚な人に与える神の賜物です。高慢な人は、笑えません。なぜなら、自分の気品を守らなければなれませんから。。。喜びのある人は、思い切って笑えます。なぜなら、自分のエゴにはあまり注目していないから。」

天国にいる母は、父の事を『とても謙虚な人』と言っていました。父は、今90才で、そろそろ天国に行くでしょう。父は、冗談が好きで、自分の失敗を笑えたのです。でも、とても印象的なのは、当時、礼拝の少し前の時間でした。父は(松本警察署真前にあった)松本聖書福音教会の前で、帚で清掃していたことです。今もはっきり覚えています。父は、謙虚でしたから、笑えて、仕えたのです。

祈る。過剰な自信あれば、個人も、教会も、進まないのです。祈りを通して、神を必要とすることを告白して、神に頼っているのです。個人のクリスチャンも、朝一番、一日中、祈るのです。教会として常に祈るのです。主の前に頭を下げて祈る男性ほど、素晴しい姿は無いと私は、思うのです。。。毎日、聖書を読こともも、御言葉の神の前に謙り、従う心を表しています。

感謝する。感謝の無い人は、高慢な人です。マイカル・ラムシーは「感謝という土には、高慢は、そだ育たない」と言いました。私たちは、恵みに値しないものですが、主は、恵みを注いで下さいます。毎日、寝る前に、全ての恵みは、神から来ると告白し、感謝するのです。

心配を主に委ねる。心配や思い煩いの根っこには、高慢があります。心配している時は、自分で十分であると思っているのです。不安を与える試練によって、神は、私に謙遜を教えているのです。試練がある時、謙虚に応答するのです。ルカ23:46「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」謙虚な人がプライドを捨て、信仰を持って、主に委ねる事が出来ます。

注意を与える事が出来る。謙虚な人だけが本当本の意味で注意を与える事が出来るのです。先ず、相手から注意をも受け入れます。謙虚でなければ注意を受け入れられないのです。自分の心を知るためには、他の人の助言が必要です。。。でも、人に注意する時、自分が罪人だと忘れない事です。そして、注意と共に、福音を伝え、希望を与えるのです。

参考:Humility: True Greatness (謙遜:真の偉大さ)C.J. Mahaney C.J. マハネー)

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