Sunday, November 19, 2017

『受けるよりも、与えることが幸いである。』


愛するクリスチャンよ、あなたがたは、夜も昼も真の葡萄の木(キリスト)の枝になれるように祈ります。あなたがたは、キリストのかたちに造り変えられるように祈ります。ならば、キリストのように施しをするべきです。「キリストは、富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」

反対第1、『私のお金は自分のもの。』応え:キリストは『私の血は私のものだ。私の命は私のものだ』と言えた可能性があります。だったら、私たちは、どうなったいたでしょうか?

反対第2、『貧しい人は値しない。』答え:キリストは『彼らは、罪深い者で、こんな人のために命を与えましょうか?良い天使に与えましょう。』しかし、そうしませんでした。100匹をおいて、失われた1匹を見つけました。値しない者のために血潮を与えました。

反対3、『貧しい人は、それを悪用します。』答え:キリストは、同じことを言えたでしょう。さらにより的確に。キリストは、多くの人が御自身の血を踏みにじることを知っていました。ほとんどがそれを軽蔑することを。その血によった罪を犯す言い訳にすることを。それでも、血潮を流されたのです。

ああ、私の愛するクリスチャン、キリストのように成るのなら多く与えなさい、常に与えなさい、自由に与えなさい、罪深い貧しい人たちに、感謝しない、値しない人たちに。

キリストは、栄光に満ち、幸せです。私は、お金を願っているのではなく、あなたの幸せです。キリスト御自身の言葉を覚えなさい。『受けるよりも、与えることが幸いである。』」

ロバート・マーリー・マックシェーン

造り主は、「驚くばかりの恵み」を私たちのような値しない人に無償で与えています。それと似て、それに値しなくても、私たちの献金と行いを物質的に恵まれてない人々に与えるのです。

エペソ2:3、4、6「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」

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