Thursday, June 20, 2013

「恵みという炎をともし、またさらにともすのである。」


「一つ一つのこの情熱が眠りから覚めて徘徊し、その強欲の対象の臭いをくんくんとかぐ。この情熱はあわれな優柔不断の魂を背景から奪い、その人は疲弊する。彼は何度溝の中に叩きつけられ、泥で息を詰まらせ、へりをつかんで再び光りに向かって立ち上がっては、自分の手がそれから離れ、もう一度暗闇に戻るのを感じなければならなかったことか。しかし、彼はついに霊的生活の法に屈するのだ。 ーーそれはこの世で最も理解されていない法であり、何よりも彼をうんざりさせる法であるが、それなくして救いの究極的保持という恵みを獲得することはできない。要求されているのは自我の放棄であるが、これはパスカルの次の言葉に完璧に表現されている。『完全かつうるわしい放棄。イエス・キリストの、そして私の霊の指導者への絶対的な服従。』

人は、あなたは自由な人間という称号にふさわしくないことか、自分自身が主人に服従しなければならないなんて、と嘲笑するかもしれない。。。しかし、この隷属は、実際は奇跡的な解放なのである。というのも、あなたが自由であったときでも、自分自身のために鎖を造りそれを身につけ、その鎖を刻一刻、さらにきつくしめることに全時間を費やしていたからである。自分は自由だと思っていた年月、雄牛のように、自分の数えきれない遺伝病のくびきに屈していたのである。生れ落ちたときから、犯した罪がことごとく生き続け、なおいっそうあなたをとらわれの身とし、他の罪を生じさせてきた。あなたが屈したお方はあなたに自由の奴隷になってほしいとは思っておられない。つまり彼はあなたの束縛の循環を断ち切り、あなたの半分消されてはいるが、なおくすぶっている願望に対して恵みという炎をともし、またさらにともすのである。」

フランソワ・モーリヤック

「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」ヨハネ 1:16 

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