Sunday, November 3, 2013

「こひつじ主イエスの」


「こひつじ主イエスの」(1772年)は、ウィリアム・クーパー (William Cowper) が最初の深いうつ状態になった時の最初に書いた賛美歌でした。彼は、英国国会下院の記録係の口答試験を恐れ、何回も、自殺を図ろうとしました。

1834年1月のノースアメリカンレビューでこうありました。「時が来て、彼の苦しみは、より深く成りました。自分が狂気になることによって解放されると期待し、信じていました。彼の良心は明確に反対していましたが、彼は、自殺をする決意をしようとしました。自殺は、正しいと自分を説得することは出来ませんでしたが、彼の必死さが打ち勝ちました。そして、自滅の為に薬剤師からその方法を買いました。」彼は、何回も、自殺しようとしましたが、何かが彼をとめていました。しかし「彼は、自分が神をあまりにも深く怒らせたから、絶対赦されないと思いました。そして、彼の心の全てが失望の激しい痛みで満たされました。狂気は遠くは無かった。いや、狂気すでに来たのです。」

それで、信仰を持った詩人クーパーは、これを書いた:

こひつじ主イエスの 打ち傷により
流れる血潮は 泉となり
汚れた罪人 身をひたせば
すべての汚れは きよめられる

十字架の盗人 主を仰いで
血潮の泉を 喜び見た
すべての罪をも きよめる血は
私の罪さえ きよめ尽くす

こひつじイエスより 流れる血の
聖める力に 変わりはなし
全ての御民を きよめ続け
滅びのわざより 離れせせる

主イエスの傷より 流れる血に
私は信仰の 目を開かれ
救いの恵みを 喜びつつ
終わりの時まで 主を讃える

とうとい救いを 歌う口が
やがては閉じられ 朽ち果てても
御父の御前で なおも高く
私は歌おう 主の救いを


クーパーは、信仰もった後も、うつを体験したことがありました。でも「救いの恵み」のテーマを心と人生の中心におきました。「救いの恵みを、喜びつつ、終わりの時まで、主を讃える。」英語では、”
Redeeming love has been my theme, and shall be till I die.” 「贖いの愛は、今までも私のテーマで、死ぬまでそうである。」彼は、絶対、彼の為に死なれた救い主から目を離すことは出来なかったのです。「贖いの愛」が彼の唯一の希望でした。

失望を体験した全ての人の唯一の希望がこれです。私たちの人生のテーマでなければなりません。クリスチャンになっても、うつを体験する可能性があります。「救いの恵み」は、常に支えとなります。しかし、精神的に「タフ」(強い)な人も、肉の力ではなく、イエスの「救いの恵み」を人生のテーマにしなければなりません。主イエスの恵みは、私たちを癒すだけではなく、その恵みは、私たちに福音による従順を与えます。

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。。。こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」ローマ7:24−8:1

クーパーの体験を英語で読む:There Is A Fountain Filled With Blood - Truth in HistoryThere Is a Fountain Filled with Blood

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