Tuesday, November 24, 2015

「賞賛」


私は、何よりも、人の賞賛が欲しいのです。でも、少し違いますが、私だけでないようです。

マルコ10:35−40にこうあります。「さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。『先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。』イエスは彼らに言われた。『何をしてほしいのですか。』彼らは言った。『あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。』しかし、イエスは彼らに言われた。『あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。』彼らは『できます』と言った。イエスは言われた。『なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。』」

弟子たちは、イエス様と共に、栄光の座に座りたい、と願っていました。そして、天においてではないですが、私たちも、地において、あまりにも、人の賞賛が欲しいのです。私たちは、天においても、地においても、栄誉を求めてはなりません。栄光は、主が与えるものです。主が与えるときのみに、受け入れるのです。が、それと共に必ず苦しみをも与えます。栄光と苦しみは、必ず共に来るものです。

これが私の祈りです。「父よ、天地を造られた神あなた様がキリストの十字架の死によって与える愛、栄光と賞賛で十分です。それを喜びます。アーメン。

No comments:

Post a Comment