朝日放送の「大改造!!劇的日フォーアフター」の匠の一人は、”自然素材の伝道師”となっています。。。私は”キリストの十字架の伝道師”で、私のこだわりです。ガラテヤ 6:14前半「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」1コリント 1:23 「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」私は、特にキリスト者のために、神の恵みと主イエスの十字架を強調したいのです。これが私たちの生命線です。。。特に、右の「キリスト中心のメッセージ」、「日本の教会の現状と展望」&「人を造り変える福音の力」を読んでほしいです。
Tuesday, November 24, 2015
「賞賛」
私は、何よりも、人の賞賛が欲しいのです。でも、少し違いますが、私だけでないようです。
マルコ10:35−40にこうあります。「さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。『先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。』イエスは彼らに言われた。『何をしてほしいのですか。』彼らは言った。『あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。』しかし、イエスは彼らに言われた。『あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。』彼らは『できます』と言った。イエスは言われた。『なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。』」
弟子たちは、イエス様と共に、栄光の座に座りたい、と願っていました。そして、天においてではないですが、私たちも、地において、あまりにも、人の賞賛が欲しいのです。私たちは、天においても、地においても、栄誉を求めてはなりません。栄光は、主が与えるものです。主が与えるときのみに、受け入れるのです。が、それと共に必ず苦しみをも与えます。栄光と苦しみは、必ず共に来るものです。
これが私の祈りです。「父よ、天地を造られた神あなた様がキリストの十字架の死によって与える愛、栄光と賞賛で十分です。それを喜びます。アーメン。」
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