Monday, January 23, 2017


先週の土曜日、家内と私は映画『沈黙‐サイレンス』を見に行きました。とても良かったです。私たちの大先輩の日本人切支丹(クリスチャン)が迫害を耐えるのを見て、私は、喜び悲しました。

もちろん、神父や信徒も「棄教」しました。でも、本当にしたのでしょうか?映画と本は、明確ではないです。。。棄教とは何でしょうか?私たちは聖徒の永遠堅持を信じています。でも、ペテロがイエスを否むような弱さは、皆にあります。

日本は、福音の根を腐らせる「沼」に例えられました。でも、東京を見て下さい。江戸の多くは、沼でした。でも、埋められて、今は、世界の東京です。日本人は、聖書に対するいろんな先入観、誤解があります。しかし、神の恵みによって、それを埋める事が出来ます。

映画では、神の「沈黙」だけではなく、世間が神父さんや一般クリスチャンを沈黙させたのも描かれています。今でも「出る杭は打たれます」。が、今のクリスチャンは、日本人を中心にして「聖霊に満たされて、キリストを宣べ伝える」事が出来ます。

使徒の働き4:23−31を読んで下さい。彼らの祈りは、先ず、神中心、キリスト中心でした。29節、最後にこう祈りました。「 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」『迫害をなくしてちょうだい』と祈りませんでした。謙虚さを大事にしながらも、この大胆さが必要です。

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