Sunday, April 5, 2015

私たちはいつも、キリストのゆえに受け入れられなければならない。


 「地上での向上のどの段階においても、私たちの中にあるものであれ、私たちによって為されることであれ、それによって私たちが神に受け入れられるようなものは何もない。私たちはいつも、キリストのゆえに受け入れられなければならない。そうでないと、私たちが受け入れられることは全く不可能である。これは、私たちが信じた時にだけ真実であるのではない。信じてからも同様に真実である。私たちが生きている限り、それは真実であり続ける。私たちがキリストを必要とすることは、私たちが信じることで終わらない。私たちがクリスチャンの美徳において何を達成するにせよ、行動における私たちの実績が何であるにせよ、私たちのキリストとの、あるいは神との関係の本質は、決して変わることがない。私たちがその上に安らぐことが出来るのは、いつもキリストの『血と義』だけなのである。」ベンジャミン・ウォーフィールド

聖歌236「望みはただ主の」の1節
望みは唯(ただ)主の血と義にあるのみ
如何(いか)でか他のもの頼りとなすべき

「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」聖書・1コリント3:11

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