アメリカに住んでいるカナダ人の聖書神学者D.A.カーソンが「寛容という悲寛容」について書いている。下がまとめです。全部を読みたければ一番下の二つのリンクを見て下さい。
「ここで要点をまとめてみたい。
悪しき思想や行動に対しては消極的に(一義的な意味における)寛容が示されるべきである。――彼らの悪行の要因についてはこれを大胆に指摘しつつ。
その一方、こういった悪しき思想や行動を行なっている人々に対しては、臆することなく積極的に(ここでも一義的な意味における)寛容が示されるべきである。――その際、それにより彼らが悔い改め、信仰を持つよう希望を抱きつつ。
その意味で、個々人に対する寛容というのは、養われ育まれるべき、すばらしい徳であるといえよう。」
その意味で、個々人に対する寛容というのは、養われ育まれるべき、すばらしい徳であるといえよう。」
エペソ 4:2「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合いなさい。」
前、「寛容」という「非寛容」(The Intolerance of Tolerance)―D・A・カーソン | 地の果てまで福音を
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